「インターネットとアート」「インターネット アート」


ということを書いたのですが,この考えの背景には1995年11月にICCで開催され(再現版),1996年にカタログが出版された『ネットワークの中のミュージアム』のなかに収められた椹木野衣さんの「インターネットとアートと・・・・・・」というテキストがあります.

そこには次のようなことが書かれています.

「インターネット・アート」が「インターネットのアート」なのであってみれば,それが打ち出しているのは美術に関する一定の主義主張ではなく,それが何を用いているかという素材の強調にすぎないからだ.(p.144) 
そして,
わたしたちに必要なのはおそらく,「インターネットのアート」ではなく,「インターネットとアート」という視点だろう.インターネットというメディアはまだ現われたばかりで,かならずしも「アート」と接点があるものでもない.両者の関係を比較し,必要ならばたがいを変形し,新たな交流の回路を開くこと───そのためには,インターネット「を用いて」美術作品を作ることとはまったく異なる発想と作業が必要になるだろう.(p.144) 

これを読んだ時に,1996年というネットの初期の段階でのネットアートへの批判が,[インターネット アート これから]につながっているなと考えました.カタログに収められたテキストのなかで椹木さんが一番冷めた姿勢で「インターネット」に向かっていたと思います.1996年から17年たちインターネットが当たり前になった「今」では,椹木さんのように「冷めている」わけではなけれども,同じような感覚でネットに向かっているのかなと感じるわけです.

しかし,それでいいのかという感じもするのです.「次」を考える必要があるはずなのです(実際には「次」はないのかもしれませんが…).その時考えたのが,椹木さんが次のように書いていることでした.

ここでも重要なのは,「インターネットとアート」という視点であろう.すなわち,「インターネットとアートと美術館と美術市場と……」といったふうに,「and」による連言を限りなく連鎖させていくこと───しかしそもそも,それこそがインターネットの発想ではなかっただろうか.  (p.145) 

インターネットの発想の根本にある 「「and」による連言を限りなく連鎖させていくこと」.ここから,椹木さんのテキストのタイトルも「インターネットとアートと・・・・・・」となっているわけです(ちなみに,梅沢和木さんと藤村龍至さんによるシンポジウムも「インターネットとアート」になっています).対して,インターネット・リアリティ研究会の展示のタイトルは[インターネット アート これから]と「と」ではなく「半角空け」でつながれています.ここに何かちがいがあるのでは言いたいところですが,検索するときに単語を区切って入力することは「and検索」をしているわけです.でも,文字列は確実に違います.だから,実際に検索してみると…

検索件数 約48,500,000件

検索件数 約88,600,000件

というように,最初の5つくらいのページの並びは同じですが,検索された件数が異なります.「だからどうした」という感じでですが,ここにはちょっとした違いがあるのかなと思うわけです.単に思うだけの段階ですが.「インターネットとアート」と「インターネット アート」.「and」による連言を限りなく連鎖させていくことと「 」(半角空け)による連言を限りなく連鎖させていくこと.ここには文字列の見た目だけでなく,ちょっとしたことかもしれませんが違いが確かにあって,それが何なのかを考えていくことが重要なのかなと考えています.

こんなことなどを考えながら,ICCでの座談会[インターネット アート あれから]に参加させてもらいます.


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