そんななかで,私たちに見えているものって何だろうね?


国立国際美術館からの帰りに,京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAの「京都芸大博士展」に行って,伏木啓さんの作品《Double-Blind》を見てきました.この作品は名古屋でも何度か見ていたのだけれど,どうしても言葉にすることができなかったので,今度こそと思いつつ見に行ったわけです.

見に行く前の話.伏木さんのFacebookで,美学者の吉岡洋さんが《Double-Blind》についてブログに書いたことを知りました.読みに行きました.とても良かったのです.それは吉岡さんの個人的体験に結びつけられながら,伏木さんの作品を経由して,批評とはという話に展開していき,作品を言葉にすることとはこういうことなのだなと思ったわけです.

なので,今回,伏木さんの作品を見ているときに,頭のどこかに常に吉岡さんの言葉もありました.そこに書かれているではないことを,どうやったら言えるのか.いえ,言わなくてもいいはずだけれども,どうしても意識してしまう.そうしながら,作品をずっと見ていて,どうしてもこの伏木さんの作品は自分では言葉にできないなと思い始めていました.

2つの作品が展示されていました.両方共,2つの映像が横並びにあります.今回の新作のほうは,垂直にスクロールする地面の映像と水面が揺れている映像.その手前に透明のレイヤーがあってそこに落ち葉が落ちてきて,だんだんと画面を埋めていきます.もう一つの方は,窓があってその向こうに木立が見えています.そこに「手」が現われて,透明なレイヤーに砂を撒いていきます.

ずっと見ながら,吉岡さんの言葉に引っ張られ,自分の言葉はどこかにいってしまっていました.なので,一度諦めて,伏木さんに挨拶.その後,もう一回チャレンジするまえにトイレに行きました.そのとき,「もしかしたらこうゆことかもしれない」と考えが浮かびました.吉岡さんが伏木さんの作品から「批評とは」というメタな視点にいったように,この作品は「メタな視点」をもっている.と思うと,今回の新作はとてもしっくりきたのです.そこには「身体」がありません.身体がないから「メタ」というわけではないのですが,なにか今までずっと「邪魔」だなと思っていたものが,画面のなかになくて,とてもすっきりしていると考えたのです.「メタ」という俯瞰的な視点を表すときに,「身体」が邪魔していたのではないか,ということを考えたわけです.そう考えて,以前の作品を見たときに今度は「手」にドッキリしたのです.とても「生理的」というか,なんか「生っぽい」感じがしたのです.

そうこうしているあいだに,だんだんと奥の映像と手前の落ち葉や砂の映像というふたつの映像の「あいだ」を考えようとしてきたけれど,そんな「あいだ」なんてないのではないかと考えるようになりました.じゃ,「あいだ」がないのに,「ふたつ」が混ざらないのはなぜなのか?  ひとつの平面なら混ざるはずです.混ざらずにふたつの面があるように作品は見えるのですが,作品をずーと見ているとひとつの平面になるようなが時があるのです.その瞬間,今まで見てきたものは何だったのかなと感じるわけです.ふたつの面の「あいだ」を見ようとしてきたけれど,それがなくなったように感じたときに,今までとはちがった見方がやってくる.でも,それはとても寄る辺ない感じの見方で,どうすればよいのか,よくわらかないままでした(というか,これはこれを書いている時に辿りつたいことなので,よくわからないままですということがちかい).

よくわからないままでは,不甲斐ないので,「ふたつがつながった」ことから考えてみあす.ふたつの「あいだ」を考えてたものが,ふとした瞬間,それは映像で落ち葉がたまるある一瞬,砂が撒かれたある一瞬に,そのふたつがつながってしまう.新作の方が,落ち葉の重なりによってそれが起こって,砂の方は,それが「手」によって起こった感じがする.落ち葉の重なりの方が,つながりが「ピュア」な感じがするのだけれど,「手」の方によって突如つくられたつながりの方が「強烈な」感じがしています.これは恐らく,ネットとリアルとの関係に対しての今の自分の考えを伏木さんの作品に被せてしまっています.なので,作品の「批評」としてはどうかなという感じがしますが,自分の考えを開かせてくれた伏木さんの作品の力は示せているのかな.

外が見えなくなるわけでも,そもそも外を見ていたのかというのでなく,ある瞬間に外がなくなってしまって,それは同時に内側もなくなってしまって,ふたつがつながってしまう.タイトルにかけて言うなら,「外がなくなる」が第一のブラインドネスで,「内がなくなる」が第二のブラインドネス.そんななかで,私たちに見えているものって何だろうね? と問いかけているのが,伏木啓さんの作品《Double-Blind》なのかなと,今の私は考えています.

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