メモ:「見る」映像と「使う」映像

「見る」映像と「使う」映像/伝える映像/至る所にある映像/思考する映像/操作せれる映像/応答する映像/指示代名詞として使われる映像/「見る」ことができなくなってもよくなった映像/運動効果エネルギーを持つ映像.
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映像は「見る」だけのものから,情報技術と結びつきながら「使う」ものになってきている.「見る」と「使う」のあいだで,映像は多様化している.あらゆるところから映像が生まれ,あらゆるところへ,あらゆる経路で流れていく
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/47602540048695296

映像の経路を多様化したことはいいことだが,それにも関わらず,画一的な映像を流し続けるテレビ.今まで得ることができなかった情報を「映像」「テキスト」としてディスプレイに映し続けるインターネット.あらゆるところから,あらゆるところへ,明滅する映像が届けられ続けられている.情報技術と結びくことで映像は多様化したが,その多様化した映像を使って,私たちは何ができるのかということは,まだよくわかっていない.そもそも映像そのものも,映画の誕生をひとつの分水嶺として,この110年あまりのあいだ,それがどういったものかは,まだよく知らないまま,私たちは映像を見続けてきたのだと思う.情報と映像が結びつくことで,より混沌としたものとなった映像をどのように考えていけばいいのか,それをまず探っていきたいと思っている.

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