情報美学概論メモ:メディアアートにおけるメタファー

伊藤俊治『電子美術論』を読んでいて考えたことは、1980〜90年代のメディアアートには、メタファーが溢れていること。それは、1984年に発売されGUIを一般化したMacintoshが採用していたデスクトップ・メタファーとも関係しているのかもしれない。

対して、2000年代のメディアアートは、リテラルな感じがしている。「文字通り」にコンピュータとそのシステムを捉えている。メタファーが消えているような感じがする。

どちらがいいとか悪いではなくて、「メタファー」という括りで一度、メディアアートを考えてみると、ユーザ・インターフェイスとの関係も含めて興味深いのではないかと思った。

1990年代までは「メタファー」でしか作れなかった/語れなかったものが、Googleなどの登場により、リテラルな存在になっていったのかもしれない。

このブログの人気の投稿

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

Surfin' に見たふたつのデスクトップ───永田康祐《Sierra》と山形一生《Desktop》

《ゴット・イズ・デット》が示すインターネットの「不穏さ」

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

授業ノート:ポストインターネット時代の芸術作品_ネット公開用

[インターネット アート これから]の「これから」を考えるためのメモ_03

儚いソーシャル麻婆豆腐

MASSAGE連載10_谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間

「ソーシャル麻婆豆腐」がつくるそこにある「空白」

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.