なぜカーソルにこだわるのか from .review

.review に書きかけの論考から.講義準備やら,査読論文の校正やらで考えが進まないうちに,年末になってしまった…….
--
なぜカーソルにこだわるのか。

カーソルもまたアニメーションのキャラクターと同じ二次元の表象である。しかも、コンピュータを使わざるを得なくなっている現在の環境において、もっとも目にする二次元の表象のひとつだと言える。しかし、カーソルと私たちとの関係はこれまでほとんど考えられてこなかった。そして、考えられないまま、カーソルはひっそりとディスプレイ上から消えていくかもしれない状況になってきている。

いつもいつも目にしている表象から、ヒトは少なからず影響を受けているのではないかと言うのが、私の考えである。つまり、カーソルは私たちに何かしらの影響を与えている。しかし、カーソルは物語を持たない。そして、歴史を持たない。それゆえに、考える対象とならない。物語と歴史があれば、ヒトはその対象を考えることができる。しかし、それらがないとヒトはその対象を掴むことができない。対象は、するすると逃げていく。いや、私たちの意識が対象から逃げいく。カーソルは私たちの意識から逃げて行き、そして、何事もなかったのように、ディスプレイからもなくなろうしている。このとてもひっそりとした存在の意味が掴んでみたいのである。そして、カーソルが私たちに与えている影響も考えてみたい。カーソルが絶対的な存在でなくなった今だからこそ、カーソルの存在が相対化され、その存在が意味を掴めるような状況になってきていると、私は考えている。

このブログの人気の投稿

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

スライド:映像文化 第4回|テレビ:同じ時間にみんなで見るから,共有の場へ

《ゴット・イズ・デット》が示すインターネットの「不穏さ」

カーソルについての講義のコメントに対するコメント

札幌国際芸術祭のメモ:松江泰治とラファエル・ローゼンダール

MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる

メモ:台風→情報の流れ→GIF→複合体としての主観

告知:第4回新視覚芸術研究会「デジタル時代の次元の折り重なり」【追記_2017/08/08】