展覧会「逆シミュレーション音楽の世界」のアーカイブページができました!+次の告知
2013年10月10日から岐阜県美術館で行われた三輪眞弘さんの展覧会「逆シミュレーション音楽の世界」のアーカイブページができました→http://www.iamas.ac.jp/af/01/index.html
会期中に行なわれた三輪さんと私との対談「コンピュータがもたらした世界」も「映像」と「テキスト」という2つのかたちでアーカイブされています→http://www.iamas.ac.jp/af/01/html/talk/talk1.html
対談がテキスト化されると参照がしやすくなり,とても良いことだと思います.特にメディアアートの分野は日本語で参照できるものがそれほど多くありません.だからこそ,今回のアーカイブのように話したことをテキスト化していくことが「次に」つながていくために重要になってきます.
トークのテキスト化をしていただいたIAMASの水野雄太さん,全体をまとめていただいた前田真二郎さん,本当にありがとうございました.
「次に」という点でいうと,私は三輪さんとの対談のなかで「今まで人間が複雑な行為をし過ぎていたのかなという気がするんですね」[07. テクノロジーと人間の関係性]ということを言いました.この対談までは明確には意識してきてこなかったのだけれど,対談後にとても気になっていることのひとつです.
そしてこのことを考えていると,アーティストの齋藤達也さんから大阪のdddギャラリーで開催される「指を置く」展のギャラリートークに誘われました.齋藤さんとのメールのやりとりなかで,三輪さんのトークから得たことをつなげて以下のように書きました.
そこでひとつ考えたのは「ヒトはこれまで複雑な行為をしすぎていたのではないだろうか?」ということです.それはどういうことかというと,例えば本を読んでいるときにする「ページをめくる」という行為.これは本を読んでいれば当たり前にする行為ですが,タッチパネルの電子書籍ではその行為が単に画面の端をタップするだけになります.それで本=文字列が読める.「めくる」という行為をしなくても,タップをすれば「めくる」という行為をコンピュータが行ってくれて,その先の文字列が読める.これは行為が楽という意味だけではなくて,今までヒトが「めくる」という行為に割いていた「演算処理」をコンピュータという外部に投げている感じがするのです.それはコンピュータは記号化できるものだけを処理できるのではなくて,身体的行為もインターフェイスの部分で「演算」化してきたと考えて,ヒトがこれまで担ってきた身体的行為による情報処理の演算をコンピュータにやってもらうということです.
私たちはこの30年くらいのあいだコンピュータという情報処理装置に身体的行為が担ってきた「演算」の一部を投げてしまうことで,これまで当たり前だと思っていたけれど,実は複雑なヒトの行為をミニマル化してきたのかもしれません.そして,このようなミニマルな行為を30年し続けてきたことで,ヒトにはコンピュータ以前にはなかった感覚が蓄積していると,私は考えています.
三輪さんという音楽家と「コンピュータがもたらした世界」というトークで「今まで人間が複雑な行為をし過ぎていたのかなという気がする」と言ったあとで,佐藤雅彦さんと齋藤達也さんによる「指を置く」というとてもミニマム行為にフォーカスした展示のなかで齋藤さんと「コンピュータにとっての『指を置く』」という話をすることになった.この流れのなかで,何を考えていくことになるのか,とても楽しみです.