昨日,IAMASで勉強会をしてきました.城さん,クワクボリョウタさんといった教師陣と多くの学生での「参照・引用」をめぐる意見交換は面白かったです.IAMASの学生は年齢層も幅広く,社会経験も様々なので背景にある「インターネット」が異なっており,それが「参照・引用」に関する問題意識の違いにもつながっていたのではないかと思います. 私はブラッド・トルメルの「The Word "Remix" is Corny.」の紹介を主にしたのですが,ここで言われている「プログレッシブ・バージョニング」という「起源」が抜けて落ちていくリミックスのあり方を話しました.「リミックス」という素材の再構成において,「パクリか,オマージュか」を問題にするのは「古臭い[Corny]」だというのがトルメルの考えです.私は彼の意見に賛同します. 「プログレッシブ・バージョニング」という言葉をつくったとしても,そこでの「リミックス」はこ90年代の「シミュレーショニズム」などとはどう違うのかという意見もありました.このちがいは「言葉」では言うことができると思います.バルトが言った「作者の死」を文字通りに体現することが,現在の「リミックス」のあり方だと.90年代や00年代においては「作者の死」は言われていたけれど,そこにはしつこく「作者」はいたし「オリジナル」という概念は残り続けていたのではないかということです.「そんなのは今も同じじゃないか」と言われればそうかもしれせん.しかし,トルメルが「依り代」とするTumblrというウェブサービスにおいて,リブログされるなかでキャプションが抜け「作者」が死んでいき,アートと日常,プロとアマチュアのイメージが入り交じる,しかも膨大な量が入り交じるなかで,何が「オリジナル」かも問題にならなくなってきています.ひとつのウェブサービスがつくる現象から,トルメルのような考えが生まれてきて,再び「リミックス」という言葉が「作者の死」とともに注目されているのは興味深いことです. リミックスを考察する際にトルメルがTumblrに依拠するとすれば,日本にはニコニコ動画やpixivという存在があります.ニコニコ動画におけるMAD動画は「プログレッシブ・バージョニング」なのかと問えるわけです.この問いは「否」ではないかというのが,昨日の勉強会からの印象です...
下條 「環境知能」と言うとき,比較的欠けているなと思った視点は,身体や皮膚の感覚,あるいはシンボリックにいく前のサブシンボリックな知能なんです.どういう意味かというと,子供がおもちゃに対してインタラクトしているとき,そのおもちゃにどういう機能があるかなんていう表象を頭のなかにつくらなくても反射的に手を出しているわけです.あるいはそこに本があれば何となくページをめくっているとかね.そうした,ピアジェが言うところの,表象より前の段階の感覚運動知能みたいなものは,安全な言い方をすればそういう研究は将来必要となるでしょう,という言い方になるのですが,そんなことをいっているあいだに,近未来において粗暴なかたちで吹き出てくるんじゃないかなという気がしているんです.(pp.150-151) 環境知能と環境管理をめぐって,東浩紀+下條信輔 司会=NTTコミュニケーション科学基礎研究所 in 環境知能のすすめ:情報化社会の新しいパラダイム ここで言われている「サブシンボリックな知能」という言葉で,昔の発表をまとめ直してみたいと思っている.プレシンボリックな知能/行為|Doing with Images makes Symbols|アレゴリー的思考 −− インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか. Re-thinking the interface: What is the meaning of Alan Kay's"Doing with Images makes Symbols" 水野勝仁 Masanori MIZUNO 名古屋大学大学院情報科学研究科博士後期課程 Nagoya University, School of Information Science Abstract Alan Kay created a slogan for development of user interfaces: Doing with Images makes Symbols. This reveals the essence of the Graphical User Interface (GUI) which millions...