スケッチパッドで描く、ふたつの手(2)
スケッチパッドで描く、ふたつの手(1) -- 3.ヒトというノイズの多い装置 ウィーナーのサイバネティクスやシャノンの情報理論という時代背景の中,「ヒトはノイズの多い,周波数帯の狭い装置だと見なせる 14 」と考えた人物がいる,J・C・R・リックライダーである.リックライダーの専門は音響心理学であったが,自らを被験者にした行動調査の結果,研究活動時間の多くが考えるための「準備」に費やされているという事実に驚き,この問題を解決するためにはコンピュータという知的な助手との「対話」を実現することが必要だと考えるようになる.そして,リックライダーはコンピュータとヒトの思考の構造をそれぞれ生かせる協力態勢を構築することが,もっとも大切なのではないかということに思い当たり,1960年に「ヒトとコンピュータとの共生」という論文を発表する 15 .「共生」とは,「密接な関係の中で,あるいは結合に近い状態で,二つの生物がともに生きる」という意味であり,リックライダーはヒトとコンピュータが共生関係を築くことで,新たな情報処理の方法の可能性が開かれるという考えを示した.その際に,彼は,ヒトのことを並行して活動できる経路をもつが「ノイズの多い,周波数帯の狭い装置」とし,コンピュータを同時に数種の基本的動作しか行えないが「きわめて高速で正確に」情報を処理する装置あると対比させた上で,このふたつの異質な装置を結びつけ対話をさせるには,グラフィック・ディスプレイを用いることが必要不可欠だという考えを持っていた 16 .リックライダーは,1962年に,ARPA の情報処理技術部(IPTO)の部長となり,自らの考えを実現させるために,ディスプレイを用いた対話型コンピューティングの研究への援助を行っていった.その援助の中から生み出された模範解答とも言うべきシステムが,サザーランドのスケッチパッドであった.リックライダーは,対話型グラフィック・コンピューティングに関する最初の公式会議に,当時まだ大学院生だったサザーランドを招き,スケッチパッドについての発表を行う機会を与え,周囲の人たちに対話型コンピューティングの可能性の大きさを示した 17 . サザーランドのスケッチパッドによって,リックライダーは,ヒトというノイズの多い装置をコンピュータというノイズの少ない装置に接続するために新しい方法を提示す