発表「テクスチャを透かしてモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D-3D」の振り返り



スライドのPDF→https://drive.google.com/file/d/0B3RHXdLnqTi-Y1Jna2Q1RnhKeVE/view?usp=sharing

発表内容は「テクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D_発表メモ ver.3.35 」です.

5月31日(日)に日本映像学会第41回大会で発表した「テクスチャを透かしてモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D-3D」のスライドです.

発表はリアルな僕が京都でやると同時にTwitterでも連続ツイートを設定しておきました.


発表後の質疑応答ではふたつの質問を受けました.ひとつは「谷口さんとポストインターネットとの関係が明確ではないので,詳しく説明してください」というものでした.自分のなかで谷口さんとポストインターネットの関係は自明なものだったので,とても戸惑いました.「日本でポストインターネットの作家といえば谷口さんなので取り上げました」と全く答えにならない答えをしてしまいました.冷静に考えてみると谷口さんの作品の「見かけ」はポストインターネットの他の作品,特にスライドで見せた「post internet」という語での画像検索の結果とは全く異なるものがあります.

発表を終えて,次の人の発表を聞いているときに先の質問への返答は「もともと発表で取り上げる予定だった.クレメント・ヴァッラとジョン・ラフマンの作品を見せて,谷口さんとポストインターネットとの関係を言えばよかったのではないか,と考えました.谷口さんの作品の「テクスチャ」の液状化・硬化の質感は,ヴァッラのGoogle Earthの作品で行われているテクスチャを布[テクスチャ]にプリントする「テクスチャ on テクスチャ」がつくるテクスチャの「物質感」や,ラフマンの近代絵画をテクスチャにして3Dモデルに貼付け,それをリアルに再現する作品の「物質感」およびそのテクスチャの独特な質感に通じているからです.これらの共通する特徴から,谷口さん,ヴァッラ,ラフマンを取り上げたのでした.この重要なことを質疑応答では言えなかった.

もうひとつの質問は,発表の最後で「テクスチャ」から「モデル」の話に移るが,今まで物質的な扱いを受けてこなかった「テクスチャ」が「物質化」することを指摘して終わったほうがスッキリするのではないだろうか? というものでした.

この質問に関しては,確かにその通りかもしれないと考えました.発表後にご飯を一緒に食べに行く際にも「テクスチャ」の物質化は「新しい唯物論」にも通じるかもしれないという指摘をもらいました.「新しい唯物論」のことはまだ勉強していないのでわからないのですが,谷口さんやヴァッラ,ラフマンらのポストインターネットの作家の作品にはテクスチャとモデルとのあいだの齟齬・緊張感が示されているので,そのときに考察からモデルがなくなってしまうのはマズイ感じがしています.たとえスッキリしなくても,テクスチャからモデルを透かし見ることが必要で,その結果して,モデルがなっくなっているのかもしれないということはいいのですが,最初から「テクスチャの物質化」で終わってはどうもいけない気がしています.スッキリしなくても,そしてその結果不格好になったとしても考察を続ける必要があります.

まずは,今回の発表で得られた考えで谷口さんの個展「滲み出る板」を考察してみたいと考えています.そのあとで,谷口さんとエキソニモの「Photoplasm seires」を対比できたらなと思っています.「情報」と「空間」,「情報」と「身体」の境界とそこの立ち上がってくる隙間について考えることになりそうです.

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