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日本映像学会関西支部第90回研究会での発表

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日本映像学会関西支部第90回研究会 で発表をしました.その際の発表概要と発表資料です. 📜発表概要 ヒトの眼・機械の「眼」に対して「情報源」として機能するフラットネス Photoshopで加工した痕跡を大胆に残す作品を制作するルーカス・ブレイロックは、写真について以下のように書いている。 写真は、すべてそれらのフラットネスのために、純粋に混成の空間を示唆する:それは二次元と三次元、表面平面とそのなかの空間、それだけでなく、抑制、魔術、死、歴史、目撃とほんのいくつかあげてみただけだが、多くのメタファーとなっている。(*1) ブレイロックは印画紙にプリントされた写真であれ、ディスプレイに表示された画像であれ、それらがすべて二次元平面でイメージを提示し、そのイメージから三次元空間が立ち上がるという写真の前提を端的に指摘している。しかし、私は二次元平面でもなく三次元空間でもない「フラットネス(=平坦さ・単調さ)」という言葉に奇妙な感じを持ち、この言葉を用いた「すべてそれらのフラットネスのために〔for all their flatness〕」という一句に惹かれ、ブレイロックの作品の考察を行ってきた。そこから、写真というものが提示される紙やディスプレイといった二次元平面、そして、写真が見る者の意識に否応なく立ち上げる三次元空間、このいずれもが含まれる写真・画像のフラットネスとは次元を持たない「情報源」であると考えるに至った。カメラがコンピュータと結びつき、写真が画像として幾何学的な要素は一切持たない色情報であるピクセルの制御によって、ディスプレイに提示されたときに、写真・画像のフラットネスとは、ヒトの眼・機械の「眼」に対して「情報源」であることを明確に示したのである。 ブレイロックの作品は写真・画像のフラットネスを情報源と見なすがゆえに、「二次元と三次元、表面平面とそのなかの空間」からはみ出していくような奇妙さを示しているのではないだろうか。その奇妙さは、ブレイロックが写真の問題としてきた二次元平面と三次元空間との幾何学的関係を意識しつつ、コンピュータの「接続の論理」を具現化するものとして、PhotoshopやARを使い、ピクセルとその先にある情報源そのものの情報を選択・操作して、平面と空間とが適切に立ち上がることないように色情報の集合をつくっているからだと考えられる、とい...

『はじめて学ぶ芸術の教科書 写真2 現代写真ー行為・イメージ・態度』への寄稿

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 『はじめて学ぶ芸術の教科書 写真2 現代写真ー行為・イメージ・態度』に「「組み合わせのゲーム」としての「テクノ画像」制作」というテキストを寄稿しました. ポストインターネット世代のアーティストのジョシュア・シタレラの「組み合わせゲーム」という作品と,メディア理論家のヴィレム・フルッサーの「テクノ画像」という概念を組み合わせて,カメラとコンピュータとが密接に結びついたあとの写真は,カメラのレンズが物質的世界を写しとるものではなく,イメージセンサーによって捉えられた光のデータの初期値とその操作になっている,ということを書いています. 目次 第1章 新星写真都市──写真芸術の過去/現在/未来 伊藤俊治 第2章 撮影行為と感情──写真家の言葉を手がかりに 甲斐義明 第3章 写真表現の現在を考える 増田 玲 第4章 写真の集塊──「Sujin Memory Bank Project」における想起の実践 林田 新 第5章 写真展示の現在 菊田樹子 第6章 写真の白、鈴木理策の白──『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッセイ』より 竹内万里子 第7章 風景のふちに影が住む──宮本隆司《ピンホールの家》 長島 確 第8章 絵画と写真──ゲルハルト・リヒター全解 清水 穣 第9章 イメージに織り込まれていた批評性──長島有里枝の初期作品を読み解きなおす 中村史子 第10章 レジリエンスは可能か──喪失・悲嘆・病・尊厳 勝又公仁彦 第11章 電子のメディウムの時代──デジタル画像の美学 gnck 第12章 「組み合わせのゲーム」としての「テクノ画像」制作 水野勝仁 第13章 メディア・環境・無意識──インフラグラム時代のリアリティ 港 千尋 第14章 写真のニュー・セオリー──写真の本性に関する急進的理解 村山正碩 第15章 私たちの世界は、いつの日か、ゴダールのものとなるのか──映像の通貨化について考える 廣瀬 純 後書き 勝又公仁彦 --- <電子書籍> リフロー型の電子テキストとして販売. ■Kindleストア 『写真概論』 www.amazon.co.jp/dp/B08VRL1B9J 『現代写真』 www.amazon.co.jp/dp/B08VRYKXYC ■honto電子書籍ストア 『写真概論』 https://honto.jp/ebook/pd_3082 2186....

『[クリティカル・ワード]メディア論──理論と歴史から〈いま〉が学べる』への寄稿

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 門林岳史・増田展大編 『 クリティカル・ワード メディア論 理論と歴史から〈いま〉が学べる 』の「触覚メディア」の項目を執筆しました. キーワードは以下のようになっています. タッチスクリーン,ハプティック、インターフェイス,グラフィカル・ユーザー・イン ターフェイス(GUI),ダグラス・エンゲルバート,アラン・ケイ,オブジェクト指 向プログラミング言語,スキューモーフィズム,マテリアルデザイン キーワードからわかるように「インターフェイス」 について書きました.「インターフェイスが触覚メディアなのか❓」ということは,読んでみてください🙇‍♂️ MASSAGE の連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」でカバーイラストを提供してもらっているカワイハルナさんのイラストレーションが表紙になっていて,とてもいい感じです. よろしくお願いします☺️ -- 目次 はじめに 門林岳史・増田展大 第1部 理論編──メディア理論の現在  1 身体 門林岳史・増田展大  2 知能 原島大輔  3 遊び/ゲーム 吉田寛  4 ニューメディア/ソフトウェア 堀潤之  5 アーカイヴ 大久保遼  6 メディアエコロジー 門林岳史  7 プラットフォーム 増田展大  8 政治とメディア 清水知子  9 資本とメディア 水嶋一憲  10 ポストヒューマン 飯田麻結 第2部 系譜編──メディア思想の潮流  1 フランクフルト学派 竹峰義和  2 マクルーハンとトロント学派 門林岳史  3 ドイツのメディア哲学 鈴木恒平  4 カルチュラル・スタディーズとメディア論 毛利嘉孝  5 ジェンダーとメディア 田中洋美  6 ポストメディア 門林岳史  7 アートとメディア 馬定延 第3部 歴史編──メディア考古学の実践  1 複製メディア 増田展大  2 出版メディア 門林岳史  3 画像メディア 増田展大  4 聴覚メディア 福田貴成  5 音声メディア 秋吉康晴  6 触覚メディア 水野勝仁  7 没入メディア 岩城覚久  8 憑依メディア 浜野志保  9 ヴァナキュラー・メディア 前川修  10 スクリーン・メディア 大久保遼  11 インターネット・メディア 喜多千草  12 モバイル・メディア 光岡寿郎  13 観光メディア 佐藤守弘  14 物流メディア 遠藤英樹  15...

ÉKRITS で「ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》」が公開されました

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ÉKRITS で「 ヒトを呼び寄せ、死を呼び寄せる《Realm》 」が公開されました☺️ エキソニモの久しぶりのネットアートの作品《Realm》についてです.よろしくお願いします🙇‍♂️ エキソニモにとっても「中間地点」になる作品だと思うし,自分にとってもインターフェイスを考える上で,ちょうど折り返し地点になりそうな感じです.もうそんな歳になってきました. 編集の大林さんからのメールで,インターフェイスについての連載「インターフェイスを読む」から3年経っていることを知り,時間の流れが早いな,この先,どこまでインターフェイスの変化について考え,言語化できるのか,できるところまで考えていきたいです. このテキストはJSPS科研費 20H01203「ライフ/デス・アートの美学」の助成を受けたものです.

MASSAGE連載11_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクはサーフェイスからはみ出して「モノもどき」になった🧊

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MASSAGEの連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」,第11回「 バルクはサーフェイスからはみ出して「モノもどき」になった🧊 」を書きました✍️✍️✍️ 連載でこれまで書いてきた「バルク」ということをまとめています.モノのサーフェイスにあるのだけれど,見ることも触れることもできない部分を「バルク」と名付けて,2年以上ずっと考えてきたけれど,わからなくなってきたので,連載の最後の2回で改めて考えていこうと考えています🧐 カワイさんのタイトル画像でサーフェイスを貫通した棒であったり,サーフェイスへの写り込みであったり,モノの特性がさまざまなかたちで表れていて,ここから「モノもどき」が現れそうです🧊

2020年の振り返り

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2020年にはこの投稿を含めて13本の記事を書いています.2019年が16本だったから,少し減ってしまいました👻 ちなみにnoteには38本の記事を書いているので,合計して51本の記事を書いたことになります.2019年は98本の記事を書いていたので,だいぶ減っていますね🥲  2020年は MASSAGE で「 サーフェイスから透かし見る👓👀🤳 」の連載を引き続き書きましたが,終わりませんでした.2本しか書けなかったです.新型コロナウィルスの影響で展示を見に行けなかったのが影響しているのは確かですが,もっと書けたのではと思います.. MASSAGE連載09_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/バルクとサーフェイスとがかき混ぜられたあらたな認識 MASSAGE連載10_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/現れたり、消えたりする確率的なバルクとサーフェイス🎲 MASSAGEでずっと連載をしていて,とても嬉しいことがありました.それは連載5回目「 バルクと空白とがつくる練り物がサーフェイスからはみ出していく 」 で哲学者の入不二基義さんの『 あるようにあり、なるようになる 運命論の運命 』を参照して「空白」についてのテキストを書いたのですが,入不二さんの『 現実性の問題 』に「 また,水野勝仁が,私の「空白」論も参照しながら,「空白」についての考察を興味深い方向へ発展させている (第9章 注 p. 335)」と書かれていたのです✨ 入不二さんの哲学は概念がどんどんドライブしていって,気がつくとどこか遠くの場所に連れて行かれて,見たこともない世界を体験できるので,とても好きです.そんな入不二さんの本に 私の名前が 出てきて,びっくりするとともに,とても嬉しかったです.入不二さんの文章とは異なるけれど,私も読んでくれた人が体験している世界が一変するようなテキストが書きたいです☺️ 論文は紀要論文を1本書きました. 紀要論文「「シミュレートされた重なり」という奇妙な像客体」 紀要論文は写真について書いたものですが,写真についての連載を FOUR-D notes ではじめました.写真とはいっても,ピクセルで埋め尽くされたディスプレイがつくる「情報源」として「写真」を考える感じになっています. FOUR-D notes で連載「フラットネスをかき混ぜる🌪」を始め...

ユリイカ2021年1月臨時増刊号 総特集=戸田ツトムへの寄稿💻「液晶状のインターフェイスが生み出すあらたな視触覚」

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『 ユリイカ2021年1月臨時増刊号 総特集=戸田ツトム 』 に「液晶状のインターフェイスが生み出すあらたな視触覚」を寄稿しました. テキストでは,戸田ツトムさんの『電子思考へ……』を読み解きながら,「戸田ツトム」をインターフェイスとして考えて,ヒトとコンピュータとのあいだで起きる感覚の変化を考察しています.その際に,戸田さんが向かい合っていた液晶ディスプレイの「液晶」というモノの状態を参照しています. コンピュータはひとつのディスプレイ上に,概念的な平面とゴミ箱が置かれた街角のような空間を同時に混在させる.空間性不要のウィンドウでもスクロールツールによって全体の平面内をなぜか文字列がパンする.同様に「平面」上でウィンドウが重なり,後ろに回り,別ウィンドウの上を通過したり….平面に存在し得ない状況の様々である.「絶対の平面・空間に置かれた平面・深さと線遠近法的な性格をある程度もった平面」,これら言わば乱層するデスクトップを,ユーザーはそれほどのストレスや戸惑いを感じることなく受容し得た.これは驚くべきことではなかった?  戸田ツトム『電子思考へ……──デジタルデザイン,迷想の机上』 (日本経済新聞社,2001),p. 20-21. このテキストを書いてみて,私が以前から引用していた戸田さんの「乱層するデスクトップ」の意味がより実感できたと思っています.それは,戸田さんが好んで取り上げていた「屈折」という現象をとおして「乱層するデスクトップ」を見ることができたからです. 私のテキストの前に久保田晃弘さんの「線を引くことから陰影へ──ピクセル・ノイズ・ハーフトーン」が掲載されています.私がヒトとコンピュータとのインターフェイスを考えるときは,いつも久保田さんのテキストが念頭にありました.戸田さん,久保田さんという,私がインターフェイスを考える際にいつも意識していた二人とともに自分のテキストがあるというのがとてもうれしいです☺️