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The Story of Emoji リンク集

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The Story of Emoji  を読みました.絵文字について基本的なことが網羅されているように感じました.「基本的なこと」以外で,絵文字について語れることがあるのだろうか.あるいは,「基本的なこと」しかないのが絵文字かもしれない. 「INSPIRED BY EMOJI」で取り上げられている事例のリンク集をつくりました→ https://paper.dropbox.com/doc/The-Story-of-Emoji-kmgpFAVuPyzSD2U2XDX4M 絵文字をモノ化するプロジェクトが多いです.若い人にアピールするために絵文字を使った事例が多いです.

「みえないものとの対話」展の記録集への寄稿

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福岡市の三菱地所アルティアムで開催された「 みえないものとの対話 」展の記録集にテキストを寄稿しました! テキストは「 出張報告書_20151030 もしくは,「みえないものとの対話」の対話  」を加筆修正したものです.ブログ記事を書いているときにはうまくまとまらなかった渡邊朋也《 荒んだ食卓を極力なおそう 》(2015)の部分を主に加筆しています. 記録集はアーティストの作品がそれぞれA2用紙両面にカラー印刷されたものが4枚と,私のテキストも含めた文字情報がモノクロ印刷されたものが1枚で構成されていて,この5枚が四つ折りで重ねられ帯でまとめられています.A2一面にプリントされた作品の展示写真はとても迫力があります. 記録集が欲しいという方は何かしらで連絡をください.先着5名にお送りします.

MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況

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MASSAGE で「 モノとディスプレイとの重なり 」という連載を始めました! 今回は連載00回ということで,連載の目的を書いています.この連載ではもう下火だと考えられている「ポストインターネット」という言葉で語られてきた作品を「モノ」と「ディスプレイ」との関係から考えていくものです.詳しくはMASSAGEを読んでください! タイトルイイメージを 谷口暁彦 さんにつくってもらいました.連載ではこの画像が示しているような,モノがディスプレイに映し出されていて,そのディスプレイ自体もモノであるから,他のモノと関係を持ちつつも,それ自体がすべてコンピュータのディスプレイに映し出されたイメージであるのだけれど,でも,それもモノでしょ,でも,そこではモノの不加入性はなくなって互いに貫入しまくって,重力もなくいるよ,それではもうモノの属性が崩れているよ,でも,イメージではないよ,モノだよ,そして,タイトルイメージの真ん中にあるようにディスプレイ自体がフレームから逃れつていってしまう状況では,何が起こるのか? ということを考えていきたいです. 毎月,修行のように書いていきます!

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

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12日は六本木の東京ミッドタウン・デザインハブに行き「 デジタルメディアと日本のグラフィックデザイン その過去と未来 」を見た.展示は「現在までのデジタルメディアとグラフィックデザインの関係を,プレデジタルメディアの時代(70年代以前),CGの時代(80年代),マルチメディアの時代(90年代),ウェブ広告の時代(00年代)に分け,コンピュータを道具ではなく環境として、あるいは素材として制作された先駆的な作品を集め」たものであった.展示方法で興味深かったのは,記録映像や紙媒体での展示ではなく,発表当時のコンピュータを使って作品が体験できるようになっていたことである.また,各時代のキーパーソンのインタビューも行われていて,その映像も視聴できた.時間の都合で,CGの時代の藤幡正樹,ウェブ広告の時代の田中良治のインタビューしか視聴することができなかったが,コンピュータとともに表現の領域を切り開いてきたふたりの言葉はとても示唆に満ちたものであった.藤幡がコンピュータのアルゴリズムに美を見つけていたのに対して,田中はコンピュータをインターネットにつなぐための道具と見なしていた.このコンピュータに対する感覚のちがい,それはまたインターネットという環境に対するちがいでもあるものは,とても興味深いものであった. 13日は午前中に六本木の国立新美術館に「 第19回メディア芸術祭 」を見に行った.アート部門の大賞作品はCHUNG Waiching Bryanによる《 50 . Shades of Grey 》で,これは様々なプログラミング言語で50段階の灰色のグラデーションの画像を制作したものである.ここでのメインは50段階の灰色のグラデーションの画像ではなく,それを生み出すプログラミン言語である.同一画像であっても,プログラミン言語によってその記述方法は全く異なる.全く異なる記述から同一の画像が生みだされるのも興味深いことであったけれど,この作品の展示で一番興味があったのは額装された6つの「プログラミン言語」の横にそれぞれつけられた作者の「思い出」である.そこにはそれぞれのプログラミン言語に対して,CHUNG Waiching Bryanがいつ,どのようにそれを学んだのか,その言語を最後に使ったのはいつかなどが書かれていた.私はほとんどのプログラミン言語を理解することはできなかった...

「インターネットの物質性」を捉えるためのパースペクティブ?

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http://geogoo.net/ 恵比寿映像祭 で JODI のトークを聞いて,家に帰ってきてからパンフレットでJODIのところを読んでいたら「インターネットやゲームの属性および記号的意味を解体しながら,その抽象性や物質性を顕在化させるような作品制作を展開している」と書かれていて,「インターネットの物質性」と自分でも書いてしまうことがあるけれども,これって何なのだろうか? ということを考える.グリッチなどのエラーのようなものが示す「物質性」とは何か? モノが壊れるときにでる音やヒビの感じで物質性を感じるのと同じことなのだろうか.でも,そこには単にディスプレイでの表示しか無いわけで.その表示しかないものに「物質性」を担わせるような私たちの認識が問われていると思われる.だとすると,近頃のまとめて紹介されている人類学のあたらしい動きのひとつの「パースペクティズム」とか使えるのかもしれない. 多文化主義という観念は,自然の単一性と文化の多元性という相補的な含意───自然の単一性は身体や物質の客観的な普遍性に,文化の多元性は精神や意味に関する主観的な特殊性に保証されている───に基づいている.これとは反対に,アメリカ大陸先住民の概念は,精神の単一性と身体の多元性を措定しているようである.文化,すなわち主観的なものは,普遍性の形相を帯びる.自然,すなわち客観的なものは特殊性の形相を帯びる.   アメリカ大陸先住民パースペクティズムと多自然主義,エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ/近藤宏訳   現代思想2016年3月臨時増刊号 総特集=人類学のゆくえ コンピュータはヒトと単一の「精神」をもっていて,その「身体」が多様である.物質のほうが特殊だと考えること.ここでの物質はコンピュータの材質とかではなくて,それらの総体としてのハードウェアと考えてみる.それが特殊であること.客観的なモノと考えていた存在が特殊性を帯びた存在であると考えること.そうすると,データをディスプレイのピクセルで具現化されたものは記号と考えるのではなく,その壊れ方でその「身体」が何であるかを確かめるための特殊性を帯びた物質なのかもしれない.いや,コンピュータで厄介というか,興味深いのは精神を単一のものと考えた方が都合がよくて,さらにその精神が個別の身体にイ...

ジョルジョ・モランディ展@兵庫県立美術館

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モランディは影のつけ方とかを物理世界の認識を細かくパラメータ化して,その値を細かく変化させて描いたと考えると面白い.そして,パラメータの値が物理世界の閾値を超え得てしまうことがもっと面白い.見えているものが真実だったけれど,描くことは見えていることを超えたパラメータ設定ができる.絵を色の塊とみなして抽象化にいくのではなく,あくまでも物理世界と緊密な関係をもったパラメータの集合とみなすことで具体にとどまりながらも,しばしばパラメータの値が物理世界の閾値を超えてしまって抽象的な表現も生まれていた.晩年や制作の危機に陥ったときには,パラメータは物理世界を振り切ったというか,物理世界が物理世界であることを示す輪郭が揺らいだようになっていた. そんなことを考えたのは,モランディを見ながら谷口さんとか永田さんなどの3Dシミュレーションを使った作品ことを意識していたからでした.最初はモランディにあまり興味はなかったのですが,見ているとどこか「3Dっぽい」感じして,それからはもっぱらモノと影の関係に引きこまれて,とても楽しく見ていました.最後には図録も買ってしまった.

出張報告書_20160122−0124

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22日は打ち合わせ. 23日は3つの展示を見た.まずは,神保町の SOBO GALLERY で開催されている youpy の個展「Rainforest」を見に行った.会場に入るとテープが床から奥の壁に向かって張られていたり,小豆が床にまかれたり,マスクが壁に掛けられたり,カルタが乱雑に置かれたりと,多くのモノが一見,無秩序に,あるいはTumblrで流れてくる画像のように展示されている.さらに音楽もかかっている.展示空間にあるモノや音の関係を探ろうとしてもよくわからない.キャプションを手掛かりにしようと会場入口に置かれたプリントを読むと,会場に置かれたモノに数字が振られているのだが「㉙ B00K7VMVWC」「㉚ B0015XNFWQ」と書かれているだけなので,さらに眼の前に置かれているモノが何であるのか,わからなくなっていく.プリントを裏返すと展覧会名とともに東京大学教養学部統計学教室による『統計学入門(基礎統計学)』からの引用文がある.その引用文は「「ランダムに選ぶ」ことによって,部分が全体のよい縮図となり集団が部分に比較的正しく反映するからである」という文で終わっている.ランダムに置かれたかのようなモノ,ランダムな記号を割り振ったようなキャプション,そして,統計学からの引用文に記された「ランダムに選ぶこと」.残念ながら,私はこれらのヒントから目の前のモノがなぜ,そこに置かれることになったのかを言い当てることはできなかった. ギャラリーの展示企画をしているいしいこうたから,「Rainforest」でyoupyがしたことを聞いた.youpyはAmazonからランダムに商品を購入するプログラムをつくり,そのプログラムが買った商品がギャラリーに展示されているモノや音であるとのことであった.キャプションの「B00K7VMVWC」はAmazonの商品コードであり,このコードでAmazonを検索すると「CAPTAIN88 接着伸び止めテープ 薄地ストレッチ 巾12mm」がでてくる.「B00XADYC1W」は「民法条文カルタ 物権6/8担保物権(325条〜355条) 」であった.youpyはAmazonからランダムで商品を購入するプログラムを使うことで,「Amazonの縮図」をつくりだした.このような説明を受けた後にすぐに思ったのが,プログラムがモノを...