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お仕事:恵比寿映像祭,Yebizoフォーラムにエッセイを書きました

恵比寿映像祭,Yebizoフォーラムにエッセイ「 あたらしい「私」をつくる───ウェブと映像のリアリティの現在 」を書きました. DJぷりぷり 《金太郎》, 谷口暁彦 《First Person Ustreamer》, 田村友一郎 《Nightless》, パーカー・イトー の個展「The Agony and Ecstasy」から,ネット上の「私」について考えています. 私はカーソルやマウスなどのインターフェイス について考えてきて,それを「映像論」として「映像学会」というところで発表してきました.自分のやっていることを自分では「映像論」の範疇だと考えていても,他の人からみると「それは映像ではない」と思われているのかな思うことが多くありました. なので,「恵比寿映像祭」のウェブにエッセイを書いてみませんかと,編集の人が声をかけてくれたことは,とてもうれしかったです.自分のやっていることが「映像」というカテゴリーに入ったのかもしれないと考えたからです. けれど,ひとつのカテゴリーに入ることがいいことなのかはわかりません.また,「映像」と言えるかどうかスレスレの領域を見つけたいです.

お仕事:GiF BOOKへのコラムの寄稿

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「 The Gif Connoisseur ,それはつまり「あなた」である」というコラムを『 GIF BOOK───コンテンツ制作者のためのGIFガイド 』に書きました.それと,GIF年表にも「監修」というかたちで関わりました.ご一読いただければ幸いです. 少しずつ読んで,この本からのフィードバックをブログに書きつつ,GIFに関する「論文」を3月まで書きたいなと思っています. あと, Web Designing 2013年2月号 の特集「GIFアニメ再起動」のイントロダクション「画像形式「GIF」と拡張機能「アニメーションGIF」」のなかにブログの記事「 GIFアニメーションに関するメモ 」が引用されています.

カンバセーション Semitransparent Design,水野勝仁

昨日(1月13日), 21_21 DESIGN SIGHT で セミトランスペアレント・デザイン とカンバセーション(=トーク)をしました. セミトラの田中さんとの打ち合わせで,「ばらばら」と保坂和志方式で話そうということになっていたので,スライドは用意しつつも,それを最初から終わりまで流すのではなく,スライド全体を見せつつ,話の流れにあわせてスライドを提示するという方法で話しました.なので,下にスライドを置いておきますが,そのすべてについて話したわけではありません(むしろ使ったスライドの方が少ない) スライド: 田中一光→セミトラ カンバセーションは田中さんによるセミトラの活動紹介からはじまりました.そこでの話をうけて,私は「仮想と現実とを地続きにする」というのがセミトラの特徴であり,現在のリアリティのひとつなのかなということを,ポスト・インターネット的なアーティスト,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェク」の紹介などをしながら話しました. 自分で話したことをまとめようとしたのですが,「ばらばら」と話をすすめたため,やはりその場で出てきたものはその場のもののようでうまくまとめられないので,補足というか,昨日のカンバセーションからの考えを書いてみたいと思います. カンバセーションでは話すことができなかったのですが,「仮想と現実とを地続きにする」ということを,脳神経学者の藤井直敬さんが「 SRシステム 」でのトークで言っていました.SRシステムは,ヘッドマウントディスプレイを巧みに使って,仮想と現実の認識を曖昧にしてしまうものです.藤井さんはそのトークで「現実の解像度を落とす」ことで,「仮想と現実とを地続きにする」と言っていました. 「仮想」の解像度をあげるのではなく,「現実」の解像度を落とすというところが興味深くて,この問題は田中さんがディスプレイでなされるデザインが,印刷でなされるデザインに情報量が劣るがゆえに,もうひとつの次元として「時間」を導入したということにも通じる感じがします.「仮想」の解像度を上げて「現実」に追いつこうという今の私たちの多くが追求しているものではなく,藤井さんの「現実」の解像度を下げるというのでもない.操作可能性が「現実」よりも大きい「仮想」にパラメータを追加して「現実」と地続き...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_7, 8

記事を2つ書きました → 新津保建秀氏の個展「\風景+」が開催 → 書評『イメージの進行形───ソーシャル時代の映画と映像文化』 この2つについてはもっと書きたいことがたくさんあります.とても刺激的な展示と論考です. ですが,その前に 大きな仕事 があるので,そこで話したことも含めて後日まとめてみたいと思っています. 新津保建秀さんの「\風景」や渡邉大輔さんの『イメージの進行形』も示している「デジタル|リアル」とのあいだで揺れ動きながら,私たちの意識が拡がっているのではないかということを,13日に21_21でセミトラさんとお話できればと思っています. https://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/289673230317387776

「\風景」電子版:「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」

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新津保建秀の写真集『 \風景 』の電子版が出たので,早速アマゾンで購入してみた.電子版は『\風景』を再構成した「 \landscape 」と,ももいろクローバーZ,やくしまるえつこなどの写真を追加した「 \landscape_archive_7.5 」の2種類でている. まずは,「\landscape」をiPhoneのKindleにダウンロードしてみた.表紙をスワイプして次の「ページ」へ行くと,写真集「\風景」では多くが1ページに1枚の写真だったのが,「\landscape」では下のように表示される. 2枚の写真=画像が画面に余白を残して配置されている.iPhoneだとだいぶ小さく感じる.なので,ピンチして拡大する.これは写真集でもできないし,「 \風景+ 」で展示された作品でもできないこと.当たり前のようだが,電子版だからできるのである. 「\landscape」と「\landscape_archive_7.5」は基本的に,自分で勝手に画像を拡大・縮小,移動させながら見ていくものだと思う.スワイプして次にいき,ピンチして拡大して,移動する.その繰り返しで「写真」を見ていく.そうしていると「ずいぶんと雑に扱っているな」というか,「『写真』に触り放題だな」という感じなった.新津保の個展「\風景+」 では作品に触れるということは,自分のなかのモラルと社会的に一線を超えないとできないことであり,写真集『\風景』を見ているときは,とても丁寧にページをめくって見ていたのに比べると,ディスプレイに触りまくって「写真」を動かすというのは異質の感じであった. 私は「\風景」を写真集,展示,電子版で体験しているのでるが,写真集では見ることに集中していて,そこに写っている「スクリーンショット」の意味などから「ネット」と「リアル」とのあいだで意識がフラフラさせられたのを覚えている.展示の「\風景+」ではもちろん見ることに集中していたわけだが,不意にとても強く作品に触れたくなり,写真の体験が「視覚」と「触覚」とのあいだを彷徨った.それは作品提示の仕方が「紙にプリント」や「アルミマウント」などととても効果的であったからである.それらの展示による写真の質感と,普段触れているようで触れていない「デスクトップ」や,実際に触れているiPhoneのガラス面の感覚な...

2012年の振り返り

2012年は結構,いろいろなところにテキストを書かせてもらました. まずは,ICCで開催された展覧会 [インターネット アート これから↩───ポスト・インターネットのリアリティ] に 「ポスト・インターネット」の質感 を書きました.このお仕事をもらってから本格的に「インターネット・リアリティ」や,現在のネットアートの一側面を考えるようになりました.自分のなかではもう2年くらい前のような感じなのですが,まだ1年経っていないというのが面白いです. 次は,学会発表.上のテキストから問題意識を引き継いで「 GIFの質感───「ポスト・インターネット」から考える画像形式 」を日本映像学会第38回大会で行いました.発表のあと, IDPW での「 ささやかな会 #0000001 featuring “GIF” 」での,千房けん輔さん,藤岡定さん,渡邉朋也さんとのお話は刺激的でした.GIFについては来年の3月までに論文にまとめたいなと思いつつ. 学会発表終えた後は,「 ヒューマンインターフェースの歴史───「よくわからない」から、身体で感じるコンピューターへ 」をテレスコープマガジンに書きました.あと, テーマグラフ の監修も行いました. そして,7月から メディア芸術カレントコンテンツ で月一でメディアアート関連の事象の紹介をしてきました.以下の6つの記事を書いたのですが,GIFにはじまり,GIFに終わっているところがいかにも2012年らしい. ロンドンのフォトグラファーズ・ギャラリーで「Born in 1987」展 開催 (0713) TELESCOPE Magazineで特集「ヒューマンインターフェース」が公開 (08/10) データ流通に関する2つの事象:《Dead Drops》と「Art.sy」 (09/14) 「未知の風景」を描く地図:「The Amazing iOS6 Maps」と《9-Eyes》 (10/12) スクリーンショットと「死」:Feréstecの2つのオンライン展 (11/09) オックスフォード大学のアメリカ出版局が「GIF」を2012年の言葉として選ぶ (12/07) 11月にはIDPW主催の「 インターネットヤミ市 」にも「論文」を売り物として参加しました.インターネットを「リアル」に感じるというか...

\風景+ を見ながらのメモ

frame_camera obscura (2012) 丸い感じ.何も起こらない.ボワーとした感じ.伝送されてきたもの. rugged timescape (2010) イメージがデジタルを通る時?に,一度,モノになる段階がある.モノというか,なんだろう,折りたたまれる「襞」(この言葉はいやだな)みたいなもの.GIF3Dに通じるような「薄い」何か? 襞ではない.折りたたまれるわけでもない.でも,そう見えてしまうこと.閾値を超えること. desktop(2011) スクリーンショットが展示されていること.触れないこと.ブラウザ生写真と違うところ.でも,展示する時,プリントする時に誰がか触っている. スクロールバーが示す外部 拡がり map(2010) デスクトップを含むプリント.歪み.余白.なんかおもしろい. map(2008) 選択範囲への注意.地図の重なり.でも,「枠」はない.デスクトップがない. アルミマウントの写真を持ってみたい.デスクトップに触れた感じがするのではないだろうか.でも,こんなことを考えるのは,僕がアルミマウントされた写真に触れたことがないからだろう. めくる行為のない/風景.硬い感じ.写真になっている感じ.写真集の初回のフラフラ感はない.でも,写真展を最初にみたらフラフラ感があった.仮想とリアルのフレームが一度拡げられたので,それを前提にして見ている.仕方がないこと. でも,この写真展はとても触覚がモゾモゾさせられる.触りたい,写真に触りたいのか,スクリーンショットに触りたいのか,デスクトップに触りたいのか,よくわからないけれど… 写真の影とウィンドウの影.これなんか面白い.影がなんか人工,仮想っぽい. archive(2012) iPadだろうか,やられた感じする.これも触りたいけど,今iPhoneで文字をタイプしているので,このガラスの感じがプリントに重なる.明らかに紙で,歪みがあるのに,ガラスを感じで,モゾモゾする. iPadのなかにデスクトップのスクリーンショット.フラフラ感キター.iPadとデスクトップのスクリーンショットの「きわ」が気になる.というか,最初に見ていたものも,スクリーンショットだったわけだ.「きわ」が見えないと判断できない. 浪江(2011) 感情が入...