身体|カーソル|イメージ:カーソルによって切り替えられる世界


今から7年前に .review というTwitter発の雑誌に書いたテキスト.業績に概要が載ってなかったので改めて読んでみたら,自分で書いた図に「ディスプレイの重層性」とあった.今とつながっているのかもしれない.

概要
本論考は,コンピュータがカーソルを中心にして身体のあらたなあり方を規定する想像力をつくりだしていること論じたものである.カーソルと身体との結びつきを考察するために,評論家の斎藤環がインターネットのOSI階層モデルによって説明する「ラメラスケイプ」という概念と,文学において身体が消失してきたとされる論を参照する.そこから,文学から消失した身体がコンピュータに移行してきたことを示す.

このブログの人気の投稿

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

メモ:「貧しい画像」はもうない

2046年の携帯電話と2007年のスマートフォンのあいだにある変化(1)

画面分割と認知に関するメモ

出張報告書_20150212−0215 あるいは,アスキーアート写経について

メタファーと身体の関係

モノのフラットデザイン化とアフォーダンスなきサーフェイス

「グリッチワークショップ」を見学して考えたこと

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.

『表象18』の共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」に参加