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MASSAGE連載08_ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について

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MASSAGE での連載「モノとディスプレイとの重なり」の第8回「 ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について 」が公開されました. 今回も前回に引き続き,永田康祐さんの作品を考察しました.けれど,前回は水平に置かれたディスプレイでしたが,今回は主に垂直に設置されたディスプレイについてです.ディスプレイの光とモノとそのあいだの空間について書いています.最後の節は,それがひっくり返る感じです. 引き続き,よろしくお願いします😊😊😊

アニメのセルがもつツルツルなクリーンさをダーティにしてみると…

ところがツルツルだったはずのアニメがゴツゴツに近いものを取り入れ,怪獣に逆襲をかけてぶっとばした瞬間がある.それは1960年代末,劇画ブームと呼応して導入されたマシントレスと特殊効果(ブラシやタタキ)が,アニメのセルをダーティに変えて質感を意識した仕上げを取りこみ始めた時期である.その質感に裏打ちされ,動きや演出も変わる.『巨人の星』の異次元空間のような大リーグボール,『タイガーマスク』の意表をつく豪快なアクションなど,それまでにない卓越したものが次々に登場した.ゴツゴツの怪獣とはまた違う,超現実的な汚い映像が出現したのだ.  今日も怪獣日和 第7回「アニメと怪獣の超えられない溝」 アニメ評論家の氷川竜介さんのテキストからの引用.「ダーティ」という言葉が使われているところに惹かれた. ラファエル・ローゼンダールがベクター画像の印象が「クリーン」で,どうしても「ダーティ」にできないと言っていたので,私はコンピュータをクリーンで,コンピュータと対比されるようになった物理世界をダーティと考えるようになった.物理世界がもともとダーティというわけではなくて,コンピュータのクリーンさと比較してはじめて,物理世界のダーティさが際立つというか,そこにコンピュータ以後のあらたなダーティな要素がでてきたといえる. 氷川さんはアニメと特撮のちがいから「ダーティ」という言葉を持ってきていて,ダーティが「超現実的」「異次元空間」という言葉と結びつくところが興味深い.アニメのセルがもつツルツルなクリーンさをダーティにすることで,物理世界の有り様が変化していき,世界の法則そのものを変更していってしまう. 氷川さんのテキストは「ツルツル=アニメ」「ゴツゴツ=特撮」「ギラギラ=CG」「パキパキ=デジタルペイント」と「質感」の話になっているので,インターフェイスをこのような質感で語る文章を書いてもいいかもしれないと思った.

出張報告書_20170128:Malformed Objectsと他者を理解するためのオカルト

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28日は7時過ぎに自宅を出発し,新大阪を経由して品川に行き,そこか天王洲の倉庫街にあるギャラリー山本現代まで歩いて,「Malformed Objects − 無数の異なる身体のためのブリコラージュ」という展示を見た.「Malformed Objects」は,現代思想やインターネットの感覚を多様に取り込んだ考察や展覧会企画を行う上妻世海によってキュレーションされた展示である.ギャラリーに入ると,台の上に紙が置いてある.それは通常の作品解説ではなく,鑑賞者への指示書になっている.指示書の最初には,先程降りたエレベーターにもう一度乗るようにと書かれていた.私は面倒なので,その指示は無視した.指示は必ずしも従う必要はないと指示書に書かれていた.しかし,指示書に従わない場合は,「観察者」として扱われる.指示書に従った場合は「制作者」として扱われる.この指示書は,作品と鑑賞者の相互作用を「制作」と考えようとする上妻の考えを反映したものである. 指示書は特別なことが書いてあるわけではく,作品を見る順番とその見方が簡潔に書かれている.私は普段,解説を読みながら作品を見ないので,テキストを読みながら作品を見るという行為自体が煩わしくも,新鮮であった.けれど,一番の驚きは,指示書に従って最後まで見たあとに,指示書に「以降電子機器を開くことが出来る」と書かれていたことである.電子機器についての記述はそれまでひとつもなかったので,私はiPhoneで写真を撮りまくっていたのである.電子機器の使用までは指示されていないだろうと勝手に思っていたのである.鑑賞のはじめに,ギャラリーのスタッフに「写真とってもいいですか?」と聞き,「いいですよ」と返事をもらっていたので,まさか電子機器についての指示があるとは思わなかったのである.それほど,電子機器は私という身体から離すことができないもので,許可されているならばiPhoneで写真を撮るというのは「見る」という鑑賞行為の一部になっていたことに,上妻の指示から気づいたのである. 池田剛介《Translated Painting》シリーズ 永田康祐《Function Composition》 作品で興味深かったのは,池田剛介の《Translated Painting》シリーズと,永田康祐の《Function Composition》...

告知:トークショー 「アートと計算(コンピュテーション)」と,出来事を複製する→出来事を個別化する

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29日に京都の ARTZONE で開催されている 渡邉朋也個展「信頼と実績」 で,渡邉朋也さんと美学者の秋庭史典さんのトーク「アートと計算(コンピュテーション)」の司会をします.ふたりとも話がおもしろいので,どんな話になるのか楽しみです! 是非,お越しください! −− トークショー 「アートと計算(コンピュテーション)」 日程:2017年1月29日(日) 18:00– 入場料:無料 会場:MEDIA SHOP gallery 登壇者:渡邉朋也氏、秋庭史典氏、水野勝仁(司会) −− このトークのために渡邉さんの作品を考えてみたのが,こちらです.渡邉さんといえば「落合博満」などの野球の話ですが,野球のことがキャプションで言及されているのは,《ツナとマヨネーズ》と《敬遠とフォアボール》だけなんですよね.下に書いたテキストは,最初は渡邉さんの作品全体を視野に入れていたのですが,書き終えてみると,キャプションで野球について触れている,上のふたつの作品にもっともフィットするようなテキストになっているような気がします.当日のトークとは関係あるかもしれないし,ないかもしれません.あくまでも,渡邉さんの作品に対する,私のメモです. 出来事を複製する→出来事を個別化する 渡邉さんの作品を見続けて,浮かんできたのが「出来事が複製される」という言葉である.《ツナとマヨネーズ》のレシートや《敬遠とフォアボール》の試合の再演のようにアルゴリズムをもとに生みだされたフォルムが複数展示されることで「同一性」というフォルムの問題がでてくる.それは単体としてのフォルムではなく,アルゴリズムを経たフォルム,もしくは,アルゴリズムと癒着したフォルムというあたらしいモノとして,そこに存在している.そして,アルゴリズムと癒着したフォルムをもつモノが生まれたときに,「出来事が複製される」という事態が起こっている.しかし,それだと渡邉さんが良く引き合いに出す落合のホームランの説明がつかない.とすれば,「出来事が複製された」結果として,アルゴリズムと癒着したフォルムをもつモノが生まれるときもあると考えてみたらどうだろう.そうすれば,落合にはホームランが残り,渡邉にはモノや映像が残る. 落合はホームランを打つための行...

「Generated X [生成されたX]」の気配

以前も 投稿 しましたが,1月6日から恵比寿の G/P gallery で開催される小山泰介個展『Generated X』で,写真家・ 小山泰介 さんと編集者・ 塚田有那 さんとトークをします! モデレーターはG/P galleryのディレクターであり,『 写真は魔術 』の翻訳をされた深井佐和子さんです. このトークに向けて,「クリーンな色面に重ねられたテクスチャが生み出すあらたなマテリアル」という紀要論文を書きながら,小山さんの写真について考えました.写真家つながりということで,昨年の小林健太さんとのトーク「 ダーティーなGUI 」で得たアイデア「ダーティー」と「クリーン」という区分けで,小山さんの写真を考えたらどうなるのか,という感じで論文を書きました.なので,小林さんとのトークから引き続き論文にもラファエル・ローゼンダールが登場します.物理世界はじまりの写真とコンピュータはじまりのブラウザとを対比させるには,ローゼンダールがどうしても必要となってくる感じです.そして,小山さんとローゼンダールとを結びつけるのは,データにテクスチャを付与するという行為ではないだろうか,と考えました. 紀要論文の冒頭です. 本論文は,ラファエル・ローゼンダールの作品と小山泰介の写真を参照しながら,コンピュータと物理世界とのあいだに現われるあらたな表現の可能性を考察していくものである.ローゼンダールはベクター画像という数学的な完全さを示す画像形式を用いて,傷ひとつない色面を用いた作品をウェブに発表し続けている.しかし,ウェブ上の作品を物理空間に展示する際に,彼はクリーンな色面をあえて汚すように割れた鏡や砂を床に敷き詰める.ローゼンダールは物理世界のダーティーな状況に重ね合わせて,コンピュータ上では汚すことができないベクター画像の表現の可能性を押し広げようとしている.小山はデジタル写真で光のデータそのものを表現しようとする.それは逆説的に,物理世界のテクスチャを光にデータの付与することで可能になる.小山はデジタル写真を野晒しにしたり,海に沈めたりするとともに,カメラやスキャナーを物理的に誤った操作を行なうことで,光のデータにテクスチャを重ねていく.ローゼンダールと小山の試みは,コンピュータのクリーンさとダーティーな物理世界とのあいだにあらたなマテリアルを生み出している...

2016年の振り返り

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2016年にはこの投稿を含めて35本の記事を書いています.2015年が63本だったから,ほぼ半減です.来年はもう少し書けたらと思っています. 今年はMASSAGEではじめた連載「モノとディスプレイとの重なり」でほぼ毎月,モノとディスプレイとイメージとの関係を考えていました.連載の現在の流れは,「ポストインターネット」の状況を改めて考えるという趣旨からは少しズレてしまっているかもしれません.しかし,タイトルの「モノとディスプレイとの重なり」は今のアートの状況を的確に示しているような気がしています. (といっても,ディスプレイを用いた作品しか見ていない私の観測範囲内ですが…)  それでもこれまで連載が止まることなく書けるほど,ディスプレイを用いた興味深い作品がでているのは,「ディスプレイ」というメディウムを考える必要を示しているとも思っています.来年も「モノとディスプレイとの重なり」を追っていきたいと考えています🚀🚀🚀  MASSAGE連載00_「ポストインターネット」が設定したクリティカルな状況 MASSAGE連載01_ポストインターネットにおけるディスプレイ MASSAGE連載02_「光の明滅」というディスプレイの原型的性質 MASSAGE連載03_光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス MASSAGE連載04_モノと光とが融け合う魔術的平面 MASSAGE連載05_ iPadがつくる板状の薄っぺらい空間の幅 ─── 谷口暁彦「思い過ごすものたち《A.》」と「滲み出る板《D》」について MASSAGE連載06_《Empty Horizon》という「ディスプレイ」を抽出するモノ MASSAGE連載07_水平に置かれたディスプレイが物理世界のルールを上書きする───永田康祐《Translation #1》について  もうひとつ大きなテキストとしては,ÉKRITSに寄稿した絵文字😭😭😭についてのテキストです.このテキストを書くことによって,「文字を書く」という流れのなかで絵文字によって意味の流れがどのように形成されていくのかをじっくりと考察できました.これもまたインターフェイス論のひとつかなと自分では考えています. ÉKRITSへの寄稿:絵文字😂😊😱は空白をつ...

「インターフェイス」は何かと何かのあいだの界面のことである

インターフェイス 「インターフェイス」は何かと何かのあいだの界面のことである.もともとは化学の用語であったが,今では「社会と大学のあいだのインターフェイス」のようにふたつ以上の物事があるところには,この言葉が多く使われるような状況になっている.しかし,「インターフェイス」という言葉から真っ先に思い浮かべるのは,ヒトとコンピュータとのあいだにある「マン-マシン・インターフェイス」や「ユーザ・インターフェイス」であろう.私たちが日々触れているコンピュータのキーボード,マウスやディスプレイ,アイコン,スマートフォンのタッチパネルは,ヒトとコンピュータとをつなぐインターフェイスであるけれど,それらをコンピュータの使い勝手を決めているものにすぎないと考えてはならない.インターフェイスはもっと大きな役割をもっているのである.スマートフォン以降のインターフェイスデザインを扱った『 UI GRAPHICS 』で,ウェブデザイナーである中村勇吾は「動きから『質感』を生み出すUIデザイン」というインタビューにおいて次のように応えている. 情報やデータという無形の世界と,人間側にある有形の世界の間には,両者をうまく取りもつインターフェイスが必要になってきて,その機能やレイアウトのデザインが「ユーザーインターフェイスデザイン」という表現になってくるわけです.(p.44) 中村勇吾「動きから『質感』を生み出すUIデザイン」 普段,私たちが意識するのはインターフェイスの「機能やレイアウトのデザイン」である.だから,インターフェイスを記述するときには「使いやすさ」や「格好良さ」という言葉が多く使われる.しかし,私たちはインターフェイスを介して,コンピュータが扱う情報やデータという「無形の世界」に触れている.中村が指摘するようにインターフェイスは情報の無形と私たちの有形の世界をつなぐ必要性から生まれたものであり,「デザイン」はそのための手段にすぎないのである.そこで,無形の世界と有形の世界のあいだのインターフェイスという観点から,ヒトとコンピュータとをつなぐユーザ・インターフェイスの歴史をみてみたい. 現在,私たちが使っているコンピュータのインターフェイスは「グラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)」と呼ばれている.GUIはディスプレイに「アイ...