「幸村真佐男展/LIFE LOGー行雲流水ー」を見た
N-MARK B1で開催されている「 幸村真佐男展/LIFE LOGー行雲流水ー 」を見たのですが,作品を長い間見ていると自分が何を見ているのか分からなくなってしまい,そのことを考えるために会場がある伏見から鶴舞(3キロほど)まで歩きました.でも,頭はすっきりしませんでした.久しぶりの衝撃でした. 2つの作品が展示してあって,ひとつは「非語辞典」に代表される有限であるけれども無限を感じさせるような文字の組わせを「辞典」にまとめたものです. 上の写真には1冊しかありませんが,これが下の写真のように何十冊もあります(ブレていてタイトルが読めません,すいません). この作品は知っていたので,会場に向かっていたときに「この圧倒的な量」にリアリティを感じられるのだろうかと考えていました.コンピュータが延々と組み合わせる文字列を印刷して「本」というモノにしていく.モノには重さがあって,この辞典はとても重い.そこで1ページに使われている紙は薄くて,軽いけれどもそれが積み重なると重い.重いし,大きいし,作品を保管するのが大変だと思いつつ,その物量感に作品そのものではなく,搬入が大変だったんだろうなと考えた. データではなくモノになるとヒトが介入します.作品として作られていくときも,コンピュータからプリントアウトされる「膨大な」紙の束をまとめて,それを製本するのはヒトが行います.「膨大な」というのはヒトが思うことであって,コンピュータはただただ命令にしたがっているだけです.そして,「膨大な」作業して出来上がった本は重い.そして,それを搬入のために運ぶにはどれだけの時間がかったのか.腰を痛めたヒトもいるかもしれない.このように考えてみると幸村先生(私の研究を精神的に支えてくれている人なので「先生」と呼ばせてください)の作品は「コンピュータを制御し,永遠とも思える宇宙的スケールに挑み続けた」と言われることが多いけれど,そこに必ずヒトが介入しないといけないし,「永遠とも思える宇宙的スケール」であるがゆえにヒトにとっては大きな負担になるので,意外ととてもヒト寄りの作品なのかもしれない. もうひとつの作品は《LIFE LOG》と題された映像作品です.N-markのページに「幸村がこれまでに日常的に撮り溜めてきた300万枚に及ぶ写真.その全ての写真を...