お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_18

記事を書きました→「いま、映像でしゃべること?- Orality in Moving Image -」が開催

12月7日、8日に渋谷ヒカリエ 8/ COURTで開催された東京藝術大学大学院映像研究科オープンラボ「いま、映像でしゃべること? – Orality in Moving Image -」presented by GALAXY Lab. について書きました.

記事のなかで「私はここ1年くらいのあいだ,スマートフォンを使った作品に対して言語化できないモヤモヤしたもの感じていた」と書いていますが,このモヤモヤのキッカケは今回も出品していた谷口暁彦さんの個展「思い過ごすものたち」でした.この展示を見てブログを書いたのですがそのタイトルが「ユラユラフラフラしているモノ」なので,ユラユラフラフラしたモノに対してモヤモヤをずっと抱いていたといことになるでしょうか.

「いま、映像でしゃべること?」ではサムスン電子のGALAXY というスマートフォンが使われていました.タッチ型インターフェイスを備えたデバイスですが,今回は「タッチ」という部分ではなく,その板状のかたちがフィーチャーされていました.板状のデバイスがつくることができる映像の可能性を探るという感じです.ただその際に「映像」だけが取り上げられていることが気になりました.1日目のトークに出ていた徳井直井さんは私とは逆の観点ですがこのことを上手く指摘してくれています.

モバイル端末を使った映像表現というとどうしてもOSが取り込んだ映像データをソフトウェアの上でごにょごにょすることを考えがち.  一方で開発者でない芸大生はまず端末を設置するフレームをレーザーカッターで作ったり,カメラにつけるアタッチメントを作ったり,端末をのせて走らせるラジコンを作ったりと、 OSがデータとして取り込む前の映像,そしてディスプレイに表示され出力される映像の見せ方,端末の「外」を最大限に利用していました.
Nao Tokui loves to write. 

私は徳井さんとは逆に端末の「外」を利用したものよりも,「センサーをハックする」というテキストを会場で販売されていたブックレットに書いていた谷口さんの作品のように端末の「内」も最大限に利用したものに惹かれました.それは目の前にある一枚の板状のデバイスのなかには種々のセンサーが入っているものだからです.スマートフォンは「見る」という感覚のみを備えた板ではなく,もっと多くの感覚を備えている板なのだから,この板を活かすには「内」と「外」の両側から攻める必要があると感じたからです.そして,そうすることでデジタル環境にフィットするようなかたちにアップデートした「映像の原初的状態」を探れるのではないでしょうか.「映像の原初的状態」を物語映画に抑圧されるものの前の映像と捉えるのではなくて,世界とのインデックス的な結びつきからも解放されたものと考えてみたいのです.そのためには「センサー=感覚をハックする」ことが引き起こす「感覚の撹乱」が必要な気がします.

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