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9月, 2014の投稿を表示しています

500w abstract_A relationship between the Internet and the physical for the art and a memo for my full paper

500w_A relationship between the Internet and the physical for the art In 'The Aesthetics of Net.Art,' Julian Stallabrass described, "The ‘objects’ of Internet art are far from being conventional art objects. They are not only reproducible without degradation but are almost free to transmit." This point is concerned with the immateriality of art. The internet art can show artworks as almost perfect copies anywhere because of its immaterial nature. However, contemporary art is getting the immaterial nature and stepping on the Internet now. The immaterial nature of the Internet throws the art world into confusion. I want to show this disorder situation of the art form the viewpoint of the relationship between the Internet and the physical. I will examine 3 cases: Send me the JPEG by Winkleman Gallery, DISown by DIS, Internet Yami-ichi by IDPW. 1. Send me the JPEG by Winkleman Gallery Now, the physical place is equal to or subordinate to the Internet for the art w

札幌国際芸術祭のメモ:松江泰治とラファエル・ローゼンダール

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札幌国際芸術祭で見た 松江泰治 の作品.高解像度で撮影された街の写真がスクロールしていく様子を見ていて,ラファエル・ローゼンダールの aesthetic echo .com を思い出した.ローゼンダールの作品は俯瞰から街を見たものではなかったのだが,スクロールの感じが松江泰治の作品と似ているように思った.ローゼンダールの新作 neo geo city .com は俯瞰から街を捉えてスクロールさせているので,松江作品と本当によく似ている. スクロールの感じが似ている言っても,ひとつは高解像度画像でループの映像もうひとつは解像度にとらわれないベクター画像でランダムに生成されていく映像でスクロールされていく映像は全く異なる.でも,スクロールの感じは似ている.この似ている感じの根底にあるのは何なのかということを考えているのだが,未だによくわからない.「根底につながり」なんてものはないのかもしれないが,そこをつなげて考えたいとさせる「類似」関係がこのふたりの作家の作品にはあるように思われる. Google Earthの俯瞰写真からのMAPへのベクターで描写された地図への切り替えという体験で,松江とローゼンダールの作品のあいだの関係を考えてみると面白いのかもしれない.

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_25

記事を書きました→ エヴァン・ロス氏が新作《No Original Research》を公開 エヴァン・ロス氏の新作について書きました. 作品の解説・考察でテキストが長くなってしまったのですが,できればロス氏スタジオ移転についても書きたかった. − 今回の展示を知ったのはロス氏のeメールによるニュースレターだったのだが,そこにはロス氏がスタジオを移転したとの知らせもあった.スタジオ移転を知らせるブログは「 Hello World... 」というタイトルで,そこにはGoogleMAPで所在地が示されていて,もちろんストリートビューでその場所を見ることができる. さらに,ロス氏のスタジオのシャッターにはアーティストの Mathieu Tremblin氏のよってペイントされていて,そこには, READY PRINT "HELLOW WORLD!" HELLOW WORLD! READY. ■ と描かれている.そのシャッターの様子はGIFアニメで見ることができる.さらに,アラム・バートル氏がフォーマットをつくった「Offline Art」のノードが備えられているので,ロス氏のスタジオ近くに作品を体験できるかもしれない.そして,私も含めてパリになかなか行けない人は,Tor Browserさえインストールすれば,デープネットにあるロス氏のスタジオにアクセスできる. スタジオをストリービューで見せて,さらにGIFアニメというオンラインでのスタジオ擬似訪問,リアルに現場に行かないと体験できないOffline Art,ネットはネットだけれども普通にはたどり着けないディープネットと盛りだくさんのスタジオ移転報告であった.URL=http://www.blog.ni9e.com/hello-world-studios/をみると「studios」と,しっかりと複数形になっていた.今やスタジオがあるのはリアルだけとは限らないし,ネットも複数あるという時代になっているのかもしれない.

コンピュータからの歩み寄り_《Desktop BAM 札幌国際芸術祭 edit.》

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札幌国際芸術祭の「インターネットヤミ市4」に参加して,早いものでもう1ヶ月以上たつわけです.そして,芸術祭ももう終わってしまうので.その前にエキソニモの《Desktop BAM 札幌国際芸術祭 edit.》を考えておかねばと思い,筆を執りました. 札幌版は福岡で見た《Desktop BAM》とはちがいました.大体は同じですが,上の画像にあるように作品と作者の紹介が「スティッキーズ」でやられています.親切ですね.エキソニモはデフォルトの機能を使うのがうまいですね. 細かいところもいろいろと変更されていたと思うんですが,大きな変化は「壁紙」が変わるようになったところでしょうか.壁紙が変わっていくと,何かそこに「物語」的なものを読み込んでしまった自分がいました.作品が情緒的になるというか.でも,それはヒトが勝手に思うだけであって,コンピュータにとっては指示通りにピクセルの色情報を変えているだけですよね.マウスを指定された位置に動かしつつ,ディスプレイ全体のピクセルの情報も変えていくというのは大変そうです.MacBook Air からMacBook Proに変わったから,そんな忙しい処理も可能になったのでしょうか. 最初は,この壁紙の変化はやけに情緒的な感じがしてない方がいいじゃないかなと思ったのすが,何回か見ていると,壁紙のゆっくりとした変化とせわしなく動くカーソルの動きの組み合わせがとても牧歌的な感じがして,気持よくなってきました.とても無機的だった《Desktop BAM》が見る人を楽しませようとして頑張っているという感じです.それがなんかコンピュータからの歩み寄りのような感じがしたのです.処理能力あがったから,「あなたが楽しめるようにしてあげるね」みたいな. すべてヒトである私の解釈ですが… 《Desktop BAM》をつくったのもエキソニモというヒトですが…

ISEA2014のためのインターネットヤミ市の考察(案)_2

インターネットヤミ市をひとつのフォーマットとして考えると,リアルとネットとのあいだを行き来する展示フォーマットとしてAram Barthollの「 Speed Show 」とラファエル・ローゼンダールの「 BOYO (Bring Your Own Beamer) 」挙げられるだろう.Domenico Quarantaは論考「In Between」のなかで,オンラインの文脈をオフラインに持ち込むフォーマットとしてSpeed ShowとBYOBを取り上げて,以下のように書いている. BYOBとSpeed Showは,何十ものイベントが世界中でオーガナイズされてミームように広がっていった.これらふたつのフォーマットは同じような特徴を示している.それは安く,早く,簡単にオーガナイズできて,レイブパーティーのようなアナーキな感じで楽しい感じがある.この2つのイベントはオンラインで生まれたコミュニティを集めようとするものであり,メンバーのあいだでの対話や意見交換を促すものである.そして.それらはアートをオンラインやアーティストのデスクトップに残しているが,同時にそれら自身がフィジカルな空間に現われている.それらはアーティストにとってとても興奮するオンラインの環境をつくるいくつかのモノとインターネットを打ち解けさせる.それは,コミュニティの感覚であり,DIY的アプローチであり,既存の社会的・制度的構造から外れたところでの機能するアイデアであり,そして,それらがパブリックな場であることである.(p.32) In Between, Domenico Quaranta in Art and the Internet ヤミ市と同様にSpeed ShowとBYOBもともに別のしかたで,これまでにない場をつくっていると言えるが,これらは全く同じなわけではない.ここではBOYBよりも直接的にネットとリアルとの関係を扱っているSpeed Showを取り上げて,ヤミ市との相違点を考えていく.その補助線として,Brad TroemelがBarthollについて書いた「In Us We Trust」をみていきたい.ToremelはBarthollを次のように評している. Aram Barthollはテクノロジーを揺り動かしその眠りから覚ます示唆的な介入をしていくアーティストである.な

#bction #10Fを裏返すことはできなくて,≋wave≋ internet image browsingは裏返すことができるのかもしれない

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≋wave≋ internet image browsing について書こうとして,なかなか書けないでいる.お酒の力を借りないと書けないのかもしれないし,頭のほとんどがインターネットヤミ市を考えているから書けないのかもしれない.Bctionのエキソニモの作品 #bction #10F も≋wave≋ internet image browsingともに書きたいだけれど書けないまま,こちらも会期が終わってしまいそう. Yang02の作品に勝手に触って落書きした人、敬意とモラルを持ってください。 #BCTION pic.twitter.com/8iw3dMQDtt — HouxoQue™ (@QueHouxo) September 5, 2014 今回のYang02の作品への落書きは明らかな破壊行為だし、本当に悲しい。だが、そういうことをする人がいるというのも事実なわけで、それにどう対応していくかが大事やな。 #BCTION — HouxoQue™ (@QueHouxo) September 5, 2014 #bction #10F ではYang02さんの作品への落書きと「レイヤー」の移動ということが気になっている.#bction #10F はいろいろな階を重ねてしまうし,#bction 以外の画像も重なってくるから,単にビルの階層だけではないものが重なりまくっている.そのアナーキーさがいい感じなんだけれど,さらに,いかに重ねまくっても,リアルの展示には何も影響がないというのはちょっと違って,この作品を一回体験するとリアルの展示を見る際にどこか#bction #10Fのための素材としてしまっている意識が生じるという意味ではリアルに作品に影響を与えているが,Yang02さんの作品への落書きのように展示がリアル破壊されなることはない.非破壊的編集という感じである.ヤンツーさんの作品に落書きされてしまったように,リアルでの落書きは破壊的行為なわけだけれども,#bction #10F では非破壊的落書きがやられている.これはアナーキーでかつ平和な感じがする. bctionの展示に落書きというのは10Fと1〜9Fのルールが区別つかなくなってるということかしらん。10Fで遊んでいるとしてしまう気持ちはわからないでもない

ISEA2014ためのインターネットヤミ市の考察(案)

インターネットヤミ市の「ヤミ」は「ブラックマーケット」と「病む」とふたつの意味をもっている.違法のものは売れない明るいブラックマーケットしてのヤミ市.フェティシュで中毒性が高くてどんどん病んでいく,ネットにずぶずぶと入り込んでいくような感覚を示すヤミ市.インターネットに入り込んでいくような感覚なのに,インターネットヤミ市はリアルで行われていて,現地に行かなければ買えない残念なECになっている.もちろん,ここでの「残念」はポジティブな意味である.さやわかさんの『10年代文化論』で示されたポジティブな意味での「残念」感をヤミ市は共有している. その「残念」を示すために,IDPWが選択したのは「turn off, log-out, and drop in on the real world for a change」であった.もともと設定がゆるくて自由であったインターネットが,近頃,窮屈になってきたことから,そこから,コンピュータの電源を切って,ログアウトして,リアルに飛び降りようという感じだろうか.ログインをして自由の世界に行っていたのは全く別のことを行う.そこには,ログオフしてもインターネットの感覚,インターネットっぽさはもう僕たちの身体に入り込んでいるという確信があったのだろう.それは単に「インターネットは自由だ」と言うだけよりも,インターネットを信頼しているし,僕たち自身の感覚も信頼している感じがする.インターネットと身体を信頼することで,お金まみれのカリフォルニア・イデオロギーの「自由」の欺瞞を乗り越えてしまう. インターネットヤミ市はインターネットのゆるい設定に,自身の感覚と身体をインストールして,インターネットとともにあるリアルを書き換えてしまう.そして,ヤミ市はインターネット自体を二次創作していく. つまり,はちゅねミクやネギなどの「残念」な味付けは,このキャラクターは「何でもあり」なのだということを表す記号になっているわけだ.初音ミクはクールなイメージで使ってもいいし,バカバカしいことに使ってもいい.「残念」な要素はそれ自体が持つコミカルな意味以上に,初音ミクが持つ自由な象徴としてあるのだ.(p.71) さやわかさんが初音ミクの設定のゆるさが自由の象徴として,その後の多種多様な表現に結びついたと指摘するように,IDPWはイン

シンポジウムの個人的振り返り

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スライドの PDF .発表の 音声データ . 発表のはじめに「画像は2ないしそれ以上の状態を包含する可変的条件」から「ポスト・インターネットにおける画像について」とタイトルを変更した.でも,先のタイトルはマクルーハンに引きつけられているので,「ポスト・インターネット」と言った方が発表にあっているかなと思ったからですが,今あらためて考えてみると「画像は2ないしそれ以上の状態を包含する可変的条件で成立する」とすればよかったのかなと思う.いや,発表にもでてくるけれど,「画像は2ないしそれ以上の状態[XYZ軸]を包含する可変的条件で成立する」とすればよかったのかもしれない. ポスト・インターネットでの画像はXVY軸で成立している.XYZ軸というのはレイヤー構造をZ軸にするということだけではなくて,そのZ軸というのはこれまでの画像のありかたにあたらしく付け加わった「Instagram」などウェブサービスも含めるような画像のあり方を拡大したものが入る軸と考えればいいだろうか. 帰りのタクシーのなかでインターネット・リアリティ研究会でいっしょの渡邉朋也さんに「水野さんは画像と写真をどのように考えているのですか?」と聞かれた.そのとき,ジャン・ボードリヤールが『消滅の技法』で 写真の強度は,どこまで現実のものを否定し,新しい場面を作り出すことができるか,によって決まる.ある対象[オブジェ]を写真に変換するということは,そこからあらゆる特性をひとつひとつ引き剥がしてくることだ───重さ,立体感,匂,奥行き,時間,連続性,そしてもちろん意味を.このように実在を削ぎ落としていくという代価を払って,イメージは魅惑する力を身につけ,純粋に対象を志向する媒体となり,そしてモノの一層狡猾な誘惑の形態を透かしてみせる.もっとよくしよう,もっとリアルにしよう,つまり,もっとうまくシミュレートしようとして,立体感,動き,感情,観念,意味,欲望等のあらゆる次元をひとつひとつまた付け加えることは,イメージに関する限りまったくの逆行である.しかも,技術そのものまでがここで自縄自縛に陥っている.(p.10) と書いているところから,特性を引き剥がしていって「1」となっているものが「写真」で,次元をひとつひとつ付け加えて「2以上」になっているのが「画像」と答えた.上のXYZ軸と絡

シンポジウム_デジタルメディア時代の視覚と世界変容_スライドGIF

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シンポジウムに関しては こちら

シンポジウムのためのメモ_#BCTION #10F/to.beについて

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日曜のシンポジウム に向けて,画像について考えているのですが,そんなときにexonemoの「 #BCTION #10F 」がはじまったりして,それを体験していたら,少し前から考察したいなと思っていた「 to.be 」というサービスを思い出して,その紹介ビデオを見たり,体験したりしている. 「#BCTION #10F」は3枚までの画像をコラージュしていくもの.「#BCTION」というハッシュタグをつけられてInstagramに上げらていく画像.そこにはInstagramらしさがある画像がたくさんあるというか,InstagramにあげられるとそれだけでInstagramフィルターがかかるか,画像は変化する.それらをコラージュしていく.3枚の重ね順とか透過のさせ方とかは「shuffle」ボタンを押すだけであとはお任せ,できたらツイートするだけ誰でも参加できて,それがまたコラージュされていく.千房さんもFacebookで書いていたけれど,アーティ・ヴィアーカントの「イメージ・オブジェクト」のように画像はリアルの会場とはちがうものなのだけれど,会場を意識してしまう.ただ,僕は「#BCTION #10F」をやろうとして画像を見ているので,リアルの会場への紐付けはあまり感じなかったところが興味深い.3枚の画像でどのようにコラージュをつくるのかというに意識が向かっていたように思える.会場を見てきたら,また意識が変わるのだろうか. ちかごろ「調整レイヤー」の機能がネットとリアルとをつなぐひとつ方法論になるのではないかと考えいたりします.その下にある複数のレイヤーに対して非破壊的に変更を加えることできる「調整レイヤー」.それ自体はピクセル情報もたずに下のレイヤーとの「ちがい」しかもたないレイヤー. 今回の「#BCTION #10F」説明文には, 「BCTIONビルの10階はインターネットだ」という妄想にもとづいて,ハッシュタグの上でおこなわれる展覧会. 誰でも参加できるハッシュタグという仕組みは,同じく誰でも参加できるストリートと等しい条件を備えている. 街の風景を「描き変える」ことから始まったストリートアート. ネット上にあふれるBCTIONのイメージをREMIXして,ネットならではの新しいBCTIONを生み出すことを目指す. 現代のストリートとも