シンポジウムのための抜き書きとメモ
「 シンポジウム_デジタルメディア時代の視覚と世界変容 」のための抜き書きとメモ メディア論,マーシャル・マクルーハン 電気の知識を獲得して以来,われわれはもう原子を物質として語ることはできなくなった.このことは大多数の科学者がはっきりと認識していることである.さらに,電気の放電やエネルギーに関する知識が増すにつれて,電気を水のように電線の中を「流れる」ものだとか,バッテリーの中に「含まれる」ものだとか考える傾向も減ってきている.むしろ,全般的に,電気は画家にとっての空間のようなものだとみなす傾向になる.すなわち,電気は,2ないしそれ以上の物体の特殊な位置関係を包含する可変的条件,とみなすのである.もはや,電気が何かに「含まれる」とする見方はない.画家たちは,かなり以前から,対象物は空間の中に含まれるものではなくて,みずからの空間を生み出すものであることを知っていた.(pp.164-165) Most scientists are quite aware that since we have acquired some knowledge of electricity it is not possible to speak of atoms as pieces of matter. Again, as more is known about electrical "discharges" and energy, there is less and less tendency to speak of electricity as a thing that "flows" like water through a wire, or is "contained" in a battery. Rather, the tendency is to speak of electricity as painters speak of space; namely, that it is a variable condition that involves the special positions of two or more bodies. There is no longer any tendency to