「実写」という見た目を超えて,そこに「演算」を見ようとした
私は 古館健 さんの《Macro / Dynamics》を おおがきビエンナーレ で見たとき,これはコンピュータによってリアルタイムに生成されていると思っていました.そして次のように書いています. 「ある規則をもとに生成される像」自体にはコンピュータと現実とのあいだに違いはないでしょう.ですが,コンピュータによって生成されたものは,それが何かに似ているとか,見立てられたものであるとかの意味のフックがないかぎり,ヒトにとってまだ「意味」が見出だせない現象なのではないでしょうか. おおがきビエンナーレ 2013:2つの建物と3つの作品 後日,古館さん自身からこの映像が「実写」であるとのリプライを頂きました. @mmmmm_mmmmm 一点。書いていただいたご感想にもう一枚レイヤーをかぶせられる要素としまして、実際にあそこで映写していた映像は実は無加工、無編集の実写の映像なのです。そこからも「コンピュータービジョン」と「現実を観る僕らの目」との相違点/共通点は見えてくる気がしています。 — FURUDATE Ken (@anaggggg) September 26, 2013 とても不思議な感じがしました.「実写」かと見間違えるほどの「CG」は数えきれぬほど見てきましたが,今回はその逆でした.そして,古館さんに以下のように返信しました. @anaggggg 「実写」だったのですね! 「実写」というレイヤーを重ねてあの作品を考えると,見ながら考えていたことがさらに複雑になってきます.コンピュータの「演算」を見ようとしながら,それで納得していたものが,「実写」として提示されていたとなると,→ — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) September 27, 2013 @anaggggg →「実写」に「演算」を当てはめていたことなり,古館さんが作品に付したテキスト通りに,「実写」と「演算」のもとには「本質的な違いは無い」ということになりますね.「規則」というのがひとつ重要なキーワードになっている感じがします.改めて考えてみたいです! — mizuno masanori (@mmmmm_mmmmm) September 27, 2013 私の眼は見ている映像がCGであるのか,実写