お仕事:名古屋大学大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」への寄稿
名古屋大学大学教養教育院プロジェクトギャラリー 「 clas 」 の2012年のアニュアルに《 sequence 》という作品に関してテキストを書きました.作品の描写がないのは,アニュアルのなかに記録写真があるからです. −− 作品とのインタラクションの楽しみ方 水野勝仁(ミズノマサノリ) インターフェイス論/名古屋芸術大学非常勤講師 インタラクティブな作品の体験を書き留めたメモと そのメモから改めて作品について考えたこと 作品を体験しているときにiPhoneでとったメモ インタラクションと帰属性1. インタラクションのための「不自然な」動き2. インタラクションと言うより光が気になる3. 近づけば映像が止まる、けれどその距離だと映像はほとんど見えないことが多い4. 逆を向いて,壁に映る自分の影と共に映像を見る5. インタラクションで映像が止まるのか,勝手に止まるのか,わからない. インタラクションに気づいたときには、映像の時間の流れの「外」にでてしまっているから,「一瞬」は一度しかやってこないのかもしれない6. インタラクションの外に出ていた方が「一瞬」を感じるのではないか?7 「clas」という場所には作品以前のものが展示される.そこから考えることが重要なのではないか?8 インタラクションがわからない,そこから考えられることがあるはず. 距離センサーと自分との関係を考えない.そこにあるのは映像. 鳩の群れ.商店街の人通り.小魚が泳ぐ水槽.交差点.走る車からの映像9. [注]メモから改めて考えこと 1.この作品にディスプレイ上の「カーソル」が示すような自分の身体の一部となるような帰属感(1)があったかといえば,それはほとんどなかった.インタラクションを期待して動いても,自分だけが動くことになる. 2.インタラクションがよくわからないので,床に張られたテープに合わせて動いてみる.ここでは作品が体験者の身体に合わせて動くのではなく,体験者の方が作品に合わせて動くことになる.インタラクションの作品というのは多かれ少なかれ,実は後者の体験をしているのだが,それに気づかせないようになっている.しかし,この作品は完全に作品のために行為をしなければならない状態にある.ガ