モノのフラットデザイン化とアフォーダンスなきサーフェイス
モノからインターフェイスがなくなるということはどういうことなのだろうか.もともとはモノに「インターフェイス」はなくて,必然的な形態がそこにあるだけであった.けれど,コンピュータによって,ハードウェアとソフトウェアとが分離して,そこにインターフェイスが生まれた.いや,「ボタン」が生まれたときにインターフェイスが生まれたとしたほうがいいのかもしれない.サーフェイスが機能と直結しなくなったときに,インターフェイスが生まれたということかもしれない. インターフェイスはサーフェイスに張り付いていた.exUIはサーフェイスからインターフェイスを剥ぎ取り,もともとあったボタンも剥ぎ取る.ピアノから鍵盤を引き離してしまうものだろうか.ピアノはまた違う問題かもしれない.いや,音が出る四角い箱があって,スマートフォンにインターフェイスとしてピアノの鍵盤が表示されて,それをタッチする,箱からピアノの音が聞こえてくるとき,四角い箱が「ピアノ」となる.このように考えると,exUIはハードウェアからインターフェイスを引き離すだけではなくて,スマートフォンというハードウェアとソフトウェアとが一体化したモノから,ハードウェアを引き離したものとも言えるのではないだろうか. スマートフォンが一枚の板としてハードウェアとソフトウェアとを一体化したモノとしてのインターフェイスを提供していた.exUIはスマートフォンからハードウェアを引き離し,モノのハードウェアに引き渡す.そのとき,モノはインターフェイスをスマートフォンに引き渡す.モノはサーフェイスを持つようになり,スマートフォンはインターフェイスを持ち続ける.このとき,スマートフォン自体はほとんど変わりないが,サーフェイス化したモノは,これまでの機能と直結した形から切り離される.この機能と形との切り離しは,スマートフォンがフラットデザインになったときに起こったことだといえる.そのときに「メタファー」がスマートフォンから消えたとすると,exUIを付与されたモノもまた「メタファー 」のあるなしで 語られるなるようなあたらしさを示すことになるだろう.このように考えてみるとexUIというのは,モノのフラットデザイン化であり,それはアフォーダンスを示さないサーフェイスをつくるということなのではないだろうか. exUIはモノからインターフェ...