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お仕事:DMM.makeでの連載「インターネット・リアリティ・マッピング」

makersのための情報発信メディア「 DMM.make 」でネット/メディアアート周辺の作家を数珠つなぎに紹介していく「 インターネット・リアリティ・マッピング 」という連載をさせていただくことになりました.その第1回目が公開されました.時間があったら,読んでみてください! 連載は,ネット上のアートを中心に紹介しながら,オランダのアートコレクティブJODIの初期の作品 http://map.jodi.org/ のようなインターネット界隈のアーティストのマッピングを行っていくものです.作品単体の紹介ではなく,作品や作家のつながりを可視化することでネットに関わる表現の「現在」を示していければいいなと考えています. いつもテキストだけを書いているので,「地図」というグラフィカルなものがうまくできるかどうかわかりませんが,テキストと地図を書き続けることで何かが見えてきたらいいなと思っています.よろしくお願いします!

紀要論文 オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換

昨年度まで非常勤でお世話になっていた 名古屋芸術大学 の研究紀要に「オリジナルからアルゴリズムとともにある「ソースへ」:常に変化していくデジタル画像を捉えるための枠組みの転換」という論文を書きました.自分的には ucnv さんの作品を通して「グリッチ」を扱った第3節「ソースを映し込むグリッチ」が気に入っています. 紀要で手に入りづらいので, PDF です(しばらくしたら名芸の http://www.nua.ac.jp/download/kiyou.html でページ数が入った正式なものがあげられると思います).もし興味があって,時間もたっぷりあるという人がいたら,ご利用ください. [追記_20140812:名芸にPDFがアップされました→ http://www.nua.ac.jp/kiyou/kiyou2014_2.php?file=/0002%8C%A4%8B%86%8BI%97v%91%E635%8A%AA%81i%98_%95%B6%81j/0022%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf&name=%90%85%96%EC%8F%9F%90m.pdf ] また,以下のテキストは論文でもっとも重要だけれど,もっと考えないといけないことがたくさんある第2節「アルゴリズムとともあるソース」です. −− 第2節 アルゴリズムとともあるソース ケネス・ゴールドスミスは『非創造的な書き方』で,絵を描くことにとって写真が大きな影響を与えたように,インターネットが文章を書くことの性質を変えるとしている6.その理由はコンピュータのOSが何百万行のテキストで書かれていたり,画面上の画像や音楽,そしてテキストもまた「言語」で構成されているからである7.ゴールドスミスはインターネットとともにあるテキストを論じるが,そこにはJPEG画像が正常に表示されずに文字化けすることや,シェクスピアの画像を文字列で表示させその文字を操作して画像を変形させるといった画像と文字が表裏一体となった例が数多く示されている.インターネット以前も,コンピュータが表示する画像は文字としても表示できたが,文字としても表示できる画像がこれほどまでに流通したのはインターネットによるところが大きい.複製技術のもとでテキストはテキストとして,画像は画像としてコピーされ続けた

研究者として以前より「自由になった」という感覚があります

ま:私は,メディアアートの歴史を,より大きい歴史と接続させると同時に美術史のなかで批評的に位置づける作業を自分の課題として考えています.そのため,特定の場を中心とする,括弧付きのメディアアートという分野を乗り越えた広がりを見せている,クワクボさんの活動に感謝しています.いちいち起源まで遡らなくても,今日のアーティストを通して語られる部分が増えてきたからです.わかりにくい言い方ですが,切実な感覚なのでこういうしかありませんが,研究者として以前より「自由になった」という感覚があります.クワクボさんは,以前よりアーティストとして自由になりましたでしょうか?(p.87) クワクボリョウタ准教授インタビュー クワクボリョウタ,馬定延(聞き手) 情報科学芸術大学院大学紀要 第5巻・2013年 に載っているメディアアート研究者の馬定延さんによるアーティストのクワクボリョウタさん のインタビュー(このインタビューのテキスト,クワクボさんが「く」,馬さんが「ま」と表記されていて,そこにどこか馬さんらしさを感じる).このインタビューを読むとクワクボさんの作品の変遷がよくわかって,とても勉強になるので,僕もいつかこういったインタビューをエキソニモをはじめ,今いっしょに様々な領域で表現を考えている人にしてみたい. そんななかで,一番グッときたのが上に引用した馬さんの言葉.メディアアートやネットアートを超えて,それらをより広い文脈で位置づけていくこと.馬さんは博論で日本におけるメディアアートの歴史をこれまでと異なった視点で批判的にまとめてきたからこそ,「メディアアート」という言葉がもつ特有の意味・場所性の限界をよく知っていると思う.だからこそ,この言葉はとても説得力がある. 僕は大学院の修士過程では「メディアアート」を研究していたけれど,博士課程は所属した研究科の関係で「ユーザ・インターフェイス」の研究をすることになった.そしてその後,エキソニモの作品に遭遇してメディアアートやネットアート(ネット上の表現)の研究に再び入り込むことになった.「エキソニモの作品に「遭遇」した」と書いたけれど,正確に言うと「再遭遇」,修士のときにも遭遇していたけれど,そのときは「インターフェイス」を経由していなかったのでスルーしていた.このことが示すように,僕はメディアアートの歴史そのものと向

「Compression Artifacts」が示す「イメージ」という語の重心の移し方

Compression Artifacts っていうグループ展、例によってArtie Vierkantとか参加してるしどこからどこまでが現実なのかもうわからん。 http://t.co/lcxcQdBZG2 — Akihiko Taniguchi (@hikohiko) April 2, 2014 という谷口暁彦さんのツイートで知った「 Compression Artifacts 」 というグループ展? 実際に開催されたのかどうかもあやしい. Joshua Citarella のサイトでは「Work」ではなく「Projects」にカテゴライズされていて,そのカテゴリーには他にPhotoshopのpsdファイルのみで構成されている「 the PSD show 」と日々tumblrに「アート的な」画像をアップし続けている「 Jogging 」がある. 「the PSD show」と「Jogging」はオンラインの活動だが,「Compression Artifacts」はリアルでの活動に重きを置いているというか,このリアルへの重心の置き方がおかしい.どこかの林のなかに展示空間をつくって,そこで展示を行うということが行なわれたらしい.展示後は展示施設は取り壊され,作品は燃やして灰になったとしている.だから,展示が行なわれたかどうかを示すのは,サイトにあげられている画像と関係者の記録・記憶のみとなる. 谷口さんも名前を出しているアーティ・ヴィアーカントのカラフルな作品が正面と左側の壁にかかっているが,彼のイメージ−オブジェクトという考え方が今回のグループ展の基底にはあるのだろう.インターネットが当たり前になったポストインターネット的状況では,リアルな空間に実際に展示したオブジェクトよりも,それを撮影して,より良く見えるようにPhotoshopで加工したイメージのほうが多く人の目に留まるし,それが作品の善し悪しを決めるものになりつつあるとヴィアーカントは考えている.そして,ヴィアーカントは展示の作品の原型を辛うじて留める程激しく加工した画像をネットにあげる.そこではリアルの展示が第一で,ネットはそれを補完するものだとする序列はなくて,ヴィアーカントにとってはどちらも作品して等価なものとして扱われる. 「Compression Artifacts」はど

メモ:Artie Vierkant Usage Pendingに関するメモ

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ニューヨークの Higher Pictures で開催されているアーティ・ヴィアーカントの展示から.アーティが今までやってきたimage-objectsとExploitsというふたつのシリーズを合わせた展示なっている. image-objectsは展示したブツの画像を加工したイメージとセットで見せるというか,加工したイメージの方がインターネットで多く見られるよねというもので,Exploitsシリーズは「知的財産」に関するもの.個人や企業がもっている「知的財産」をアーティが彼らに交渉して使えるようにするもの. 今回の展示ではおそらくPolaroid社のロゴを使ってimage-objectsを作成していると思われる.そして,それはロゴをつかっているということでExploitsシリーズにもなっていて,交渉はうまくいっているみたいだけれど,最後のつめが残っていること,ということがプレスリリースに書いてあった. image-objectsシリースは展示されているモノを加工してネットに流すから,今回もモノがとてもボカされているのはまさにアーティらしいな感じがしていたのだけれど,プレスリリースを読むと今までよりもひねってある気がする.それは今回の「ボカシ」加工が「知的財産」に関わるという実際的(アクチュアル)な問題で行なわれているのではないかと考えてしまうから. アーティの活動をおっているとモノとイメージとの境目がわからなくなってくるし,そこに社会的規範というか決まり事としての「知的財産」という,モノでありつつ,モノではなくアイデア=イメージの部分に関わるものを絡めせてくるのがうまいなと思う. −− エキソニモがGoogleの検索画面を描いた《 Natural Process 》は,最初はネットの画像を絵画というモノにして,それをまた画像化するプロセスだった.けれど,その後で再び《Natural Process》を展示しょうとしたときには,そこに「知的財産」ではないけれど,大人の事情が絡んできて,展示ができなかった.でも,その後,エキソニモはしっかりと《Natural Process》を個展でアップデートしていた. ネットを流通していくイメージに「知的財産」がまとわりつくような感じは,ネットが「リアル」と等価値になっていく

情報科学芸術大学院大学紀要 第5巻に研究ノートを書きました

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情報科学芸術大学院大学紀要 第5巻に研究ノート「名古屋からIAMASを眺めて 」を書きました.このテキストは,IAMASに落ちて大垣にとても近い名古屋で大学院生活を送ったひとりのインターフェイス研究者の回想+IAMAS卒展カタログからの抜粋+抜粋から改めて考察したことの3つからで構成されています. 今回の紀要の特集「<これからもイアマス> 領家町からソフトピア地区へ」の意図や目次,そして「IAMAS 郵送受付フォーム」が http://www.iamas.ac.jp/8256 にあります.興味がある方は是非,申し込んでください!