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2024年の振り返り

2 024年はこの投稿を含めて12本の記事を書いています.2023年が23本だったから,半分くらいになってしいました.  ちなみに note には14本(この記事を投稿した後に1本投稿しました) の記事を書いています.そのほか,しずかなところで,毎日テキストを書くようにしていて,年内に224本の記事が上がると思います.こちらにテキストを書いて,noteにまとめるという流れもできています. 2023年も2月に授業資料をあげるところからスタートしています.愛知県立芸術大学でやっている「メディア映像史」で私が担当している5回分と,甲南女子大学でやっている「メディアアート論」の授業資料になります.また,今年度から女子美術大学で「メディアアート概論」の5回分も担当しました. メディアアート論(2023年度)の授業資料 メディア映像史 (2023年度水野担当分)の授業資料 メディアアート概論(2024年度水野担当分)の授業資料 3月には科研の報告会に参加しました.遥か昔のことのようです. 2021~23年度科研費「生命の物質化・物質の生命化に関する理論調査と制作実践」成果報告会 報告会と並行して,5月の日本映像学会の発表を準備をしていました.そして,無事に5月に発表できました.こちらは現在, 大学の紀要論文 に発表の前半部, ÉKRITS に後半部を掲載できるように作業中です. 日本映像学会第50回大会での発表:ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 「ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」の報告文が,日本映像学会の会報に掲載されました 6月には,2023年11月に開始されたシンポジウムが,共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」としてまとめられて,『表象18』に掲載されました.シンポジウムに誘ってくれた難波阿丹さんには日本映像学会の「 映像身体論研究会 」にも誘ってもらって,そちらにも参加しています.2,3月に私の担当の発表があります. 『表象18』の共同討議「皮膚感覚と情動──メディア研究の最前線」に参加 アーティストの古澤龍さんに誘われて,アーティストトークに参加しました.ブログにも書いた「解像度とフレームレートを合わせた「情報量」をヒトは...

【2023~2024 私のこの3点】を書きました.あと,期間を確認しないで期間外の3点を選んで書いてしまったテキストもあるよ

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美術評論家連盟 会報24号の 【2023~2024 私のこの3点】に,「宮下恵太|わたしたちの光、おおらかなしるし」,Apple Pencil Proの「影」,藤倉麻子「Sunlight Announcements / 日当たりの予告群」をあげて,短い文章を書きました🩻 https://critique.aicajapan.com/7886 3つを選ぶときに選んでいい期間を間違えて,以下の3つについても短文を書いたので,ここに載せておきます. 新津保建秀展「消え入りそうなほど 細かくて 微妙な」  MIZUMA ART GALLERY 2023年4月19日 → 2023年5月20日 新津保建秀の写真は目の前の景色だけではなく,撮影者の新津保の,そして,その写真を見る人の認知プロセスをも一瞬止めてしまうような感じがある.私の認知プロセスが止まると同時に,そこに写っている景色の時間が止まる.結果,「写真が時を止めた」と感じる. エキソニモ「On Memory」 WAITINGROOM 2023年7月5日 → 2023年8月6日 この個展は記憶・メモリをテーマにしたもので,撮影禁止だった.記憶は消失もするけど,改変されながらも,残り続ける.「On Memory」に関する私の記憶がテキストデータになって,メモリに記録される.さらに,書くたびに改変される私の記憶を誰かが読んで.別の記憶が生じることを願って,この文章を書いていてる. 余宮飛翔「Mask」 PHOTO GALLERY FLOW NAGOYA 2024年10月5日 → 2024年10月27日 Photoshopでつくられた凸凹のない平面を囲む額縁の凹凸とが私の意識で組み合わされて,瞼を閉じると,作品平面と展示空間とが私の意識に現れる空間においてスムーズにつながり,互いに置き換わることも可能かもしれないと感じさせる状況が,とても新鮮で驚きだった.

メディアアート概論(2024年度水野担当分)の授業資料

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女子美術大学 の首藤圭介さんに声かけてもらって, 茅ヶ崎市美術館 の藤川悠さんと3人で「メディアアート概論」の授業しました.私の担当分は5回で前半はメディアアートを考える基礎的な事象を考える「3つの空間(現実空間,仮想空間,イメージの空間)で「これ」と「あれ」をつなぐリンクを考える──視界・リンク・3つの空間編」で,後半は前半の知見を活かして 谷口暁彦 さんの作品を考察する「谷口暁彦個展《超・いま・ここ》の「超」の意味を考える──谷口暁彦・ 大岩雄典 編」としました. 〈視界〉編でスマートフォンで写真を撮ることの不思議さを書いていたときに,スマートフォンのディスプレイに映っているものは私の〈視界〉に現れる縮小された私の〈視界〉なのではないかと考えました.そして,スマートフォンのディスプレイに表示されているのが,〈視界〉の縮小版ということで〈マップ〉と名付けました.授業資料を書いたときはこれでいけると思ったのですが,授業をしてみると自分でも理解が及ばず学生から質問が来て,それに答えながら,〈マップ〉を考えていきました.そして,〈視界〉や〈マップ〉,リンクという言葉で,谷口さんの作品を分析しようとすると,ここでも〈マップ〉がうまく使えなくて,悩みました.来年度も授業をお願いされた〈マップ〉についてもっと考えていきたいと思っています. 〈マップ〉に関して,学生の質問に四苦八苦して回答した記録 マップはなぜ世界ではなく〈視界〉の縮小なのでしょうか? ここは私もまだ明確に言葉にできていないところで,「〈マップ〉は〈視界〉の縮小である」と勢いで言っているところがあります.世界というのは私と関係なく,私の周囲に連続して存在していて,画像や写真というのはその世界を写しとっているものという感じが強かった.しかし,スマートフォンが「撮影」するものは,私の〈視界〉のなかに表示されるもう一つの〈視界〉を切り取っているという感じがあって,ここで行っているのは世界を「撮影」することではなくて,〈視界〉をピクセルにマッピングしているという感じを私が強く持っています.うまく回答できていないですね. スマートフォンで「撮影」するようになって,私が持つスマートフォンのディスプレイに「私が見ている世界」が表示されているのを見たときに,ディスプレイ以外に見えているのが,私が見ている世界=〈視界〉の〈底〉が...

美術評論家連盟創立70周年記念アンケート「美術評論のこれまでとこれから」に回答

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美術評論家連盟創立70周年記念アンケート 「美術評論」という言葉に入ったり出たりしている私ですが,美術評論家連盟創立70周年記念アンケート「美術評論のこれまでとこれから」に回答しました. 回答に書いたことをここで繰り返すのはアレですが,私の自分が書いたこと文章が気に入っているのだと思います. 「なんかピンときた」や「ものすごくグッとくる感じ」という明確に言葉にできない「非意識的認知」のレイヤーで絡み合っているヒトと作品とのリンクをどうにかして言葉で捉えていく試みとなるだろう. 「 認知者としての作品 」『映像学』第107号,p. 37 母親が父親に「もうまさのりも50だよ」といっていた.父親は「そうか」と答えて,母親が「そうだよ」と笑っていた.50まではあと2年か3年あるけど,47か48年生きてきて膨大なものになっているだろう「非意識的認知」のレイヤーで,あと幾つかの作品と絡み合いながら文字列を出力していきたいと思っています.

「ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」の報告文が,日本映像学会の会報に掲載されました

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九州産業大学で開催された日本映像学会第50回大会で発表した「 ヨフ《Layered Depths》とともに考える「スワイプを介して生じる映像と空間との関係」 」の報告文が,日本映像学会の会報に掲載されました. https://jasias.jp/wp-content/uploads/2024/10/JASIAS_NewsLetter201.pdf ヨフの《Layered Depths》を分析していった最後に,作品に即して,次のように書きました. 最後に,相即の感覚を伴う映像体験は情報的に生じている「擬似空間」で強く感じるものであり,そこでは映像と空間の関係を見るだけでなく,行為とともに考えることが要請されていることを主張して,発表を終えた. これはヨフの作品だけでなくて,映像作品全般を「行為とともに考える」ことが必要だという主張でもあります.映像を認知して,意識に生じる「行為」につながる感じを含めて,映像を分析する必要があるのではないかということです. インターフェイス体験が一般化してきた今では,映像は見て,認知して,何かしらの意味を生じさせるだけでなくて,何かしらの行為を引き起こすようになっていると考えると,映像の捉え方が豊かになるのではないかということです.言い換えると,「情動」という言葉で澄ますことができない,実際に行為に直結するベクションのようなことが,ベクションのようにあからさま形でなくても,映像を認知した際に意識に生じる「疑似空間」で起きているとした上で映像体験を記述しないといけないのではないという主張です.

「アーティスト・トーク 古澤龍」を終えて

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オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」 出品作家によるイヴェント「アーティスト・トーク 古澤龍」は,とても楽しかったです.畠中さんの司会で,古澤さん,ソニーの小倉さん,そして,私という流れで話しました. 古澤さんのトークで気になったのが 「順応」 ということでした.私は古澤さんの作品を体験中に,作品に慣れというか,作品に馴染んでいく感じがあるなと思っていたので,自分の作品体験と絡められるなと思いながら,古澤さんの話を聞いていました. ソニーの小倉さんは「完璧なディスプレイはフィジカルな世界をそのまま表現できるもの」と言われていて,ディスプレイはまだ完璧ではないけれど,特性ごとに得意分野があるのが,表現に合わせてディスプレイを選択して欲しいと言われていたのが,印象的でした.そして,ディスプレイのスペックが上がってきて,ヒトの認知を考慮する領域に映像は入ってきていると言え荒れていました.「実物感」,「解像感」を考慮した映像表現力が,これからのディスプレイの進化に重要な要素になってきていて,技術的なスペックというよりも「○○感」の進化になっていて,ヒトの 認知特性も加味した映像表現力の活用 が重要になってきているというのは,私の関心とドンピシャで合致していて,とても気になりました.ここは少し聞き逃したところもあるので,小倉さんの言葉そのままではないけれど,「 解像度とフレームレートを合わせた「情報量」をヒトは認知している」 というというところも気になりました. 私のトークの資料はこちらになります> 映像そのものに何かを感じ始める この資料をもとに,二人の話を受けての何を感じて,考えたのかということを話しました. 畠中さん,古澤さん,小倉さん,ありがとうございました☺️

オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク 古澤龍に参加します

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  オープン・サロン「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」出品作家によるイヴェント アーティスト・トーク 古澤龍 に参加します.ICCのイベントへの参加は久しぶりです. 古沢さんの作品を最初に見たときに興奮していたので,古澤さんからトークの参加を打診してもらったとき,とてもうれしかったです. 古澤さんの作品を体験しているときに,コンピュータと結びついた映像メディアは主観と客観の手前の状態で世界を操作できるものなのではないかと思いました.その結果,私たちが映像や世界に感じるリアリティが変化しているのかもしれないと感じました.その点をこのトークで探っていけたらと思っています 👁️ -- 「ICC アニュアル 2024 とても近い遠さ」にて 《Mid Tide #3》 と 《Slack Tide #1》 を展示する古澤龍によるアーティスト・トークを開催します. ゲスト:小倉敏之(ソニーグループ株式会社技術戦略部 Distinguished Engineer),水野勝仁(甲南女子大学文学部メディア表現学科准教授) 司会:畠中実 (ICC) 日時:2024年10月26日(土)午後2時より 会場:ICC ギャラリーD 定員:100名(当日先着順) 入場無料(展示をご覧になるには入場料が必要です) 主催:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]