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Poi vol.2 featuring Tomoya WATANABE

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私が参加している科学研究費の研究グループ「ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察」の年次報告書みたいなもの & ARTZONEで行われた渡邉朋也個展「信頼と実績」の記録として「Poi vol.2 featuring Tomoya WATANABE」を刊行しました.デザインは前号に引き続き,『科学者の網膜』が話題の増田展大さんです.
目次は以下の通りです.


目次にもあるように,私は「作品解説」を書いています.渡邉さんと田川さんが懇切丁寧な解説を解説を書いているので,私はタイトルの文字列から考えられることを書きました.

また,秋庭さんの論考で触れられている私のブログはこちらです

告知:トークショー 「アートと計算(コンピュテーション)」と,出来事を複製する→出来事を個別化する


8部配布できるものがありますので,希望者の方は以下のフォームに記入をお願いします😊
Poi Vol.2 への興味,ありがとうございます🙏 手持ちがなくなったのでひとまず回答受付を停止しました.

読み込んでいます...



[科学研究費基盤研究(C)「ポストインターネットにおける視聴覚表現の作者性にかんする批判的考察」研究課題番号:15K02203 研究代表者:松谷容作(同志社女子大学)]

MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》

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MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」の第12回「ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》」が公開されました.

「モノとディスプレイとの重なり」と題して書いてきた連載ですが,ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》を取り上げた今回は「ディスプレイ」は出てきません.代わりに出てくるのは「穴」や「影」といったモノのようでモノでなくて,モノに依存しているような存在です.ディスプレイはイメージの支持体として考えられますが,よく考えてみれば,イメージに依存して存在する「穴」や「影」のような存在なのかもしれません.だから,モノとしてのディスプレイが消えたとしても,ディスプレイは一つの場として,イメージとの関係のなかで存在し続けるのでしょう.そして,谷口暁彦さんによるカバーイメージは,最後は宇宙にまでいってしまいました.そんなこんなで今回で連載は一区切りです🖥🕳💻

よろしくお願いします😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊

新視覚芸術研究会第4回シンポジウム「デジタル時代の次元の折り重なり」の個人的振り返り

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8月19日(土)に京都のメディアショップで新視覚芸術研究会第4回シンポジウム「デジタル時代の次元の折り重なり」を開催しました.東京から来ていただき,デジタルメディアの指標性について,あらたな視点を出してくれた永田康祐さん,そして,暑いなか,来ていただいたみなさま,本当にありがとうございます!
私は「次元の折り重なりを透かし見る[👁📷🎥 → 🖥|/|👀] デスクトップ・リアリティと永田康祐《Function Composition》」という発表をしました(→発表ノート).発表は,「👁📷🎥 → 🖥|/|👀」という絵文字が示しているように単眼👁の📷のようなふたつの眼👀でディスプレイ🖥という体験に変わった時に,二つの二次元平面「| |」が重なり合って,そこに「 / 」的な透き間が生まれて,そこに三次的な表象が入り込むという流れです.
発表後のラウンドトークで,飯田豊さんが90年代には久保田晃弘さんや水越伸さんの著書を挙げながら,メディア論とインターフェイス論とが密接な関係にあったのに,それ以後,メディア論の系譜がつくられていくにつれて,二つの流れが乖離していってしまったという指摘は,確かにという学ぶところが多かったです.そして,この二つを再び結びつけるためにはインターフェイス論をメディアの原理論と考える必要があるというのは,私のこれからの課題だと思いました.
「デジタル時代の次元の折り重なり」というテーマに基づいて,発表の準備をしていて,辿り着いた前面と背面という少なくとも二つの二次元平面=層とが重なり合いを考えていました.さらには,二つの層のあいだには「透き間」と言えるような別の空間的な何かが生まれていて,それがポストインターネットと呼ばれる作品の見え方をわかりづらくしているのではないかと考えるようになりました.そして,永田さんの発表を聞いて,二つの層と一つの透き間が絶えず入れ替わるなかでのヒトの認識を表象につなぎとめる指標的な存在を見つけ出す必要があるのかなと思い始めています.
二つの層が折り重なり生まれる「透き間」というのは,東浩紀さんが言う「不気味なもの」なのではないか,という質問をシンポジウムが終わった後に受けました.確かに,発表でも東さんのテキストは重要な役割を果たしているから,「透き間」は「不気味なもの」と考えることができるかも…

美術手帖(2017年9月号)にHouxo Que個展「S H I N E」のレビューを寄稿

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https://twitter.com/kuad_artzone/status/897814268011134976
美術手帖(2017年9月号)に,京都のARTZONEで開催されたHouxo Que個展「S H I N E」のレビュー「凹凸のない光の基底面」を書きました.Queさんの作品を継続的に見てきて,今回はじめてあらわれた「光の色面の重なり」やディスプレイに表示された「文字」について書いています✨
レビューのお供にこちらのテキストもお読みいただけるとうれしいです😊 →モノとディスプレイとの重なり 第3回「光を透過させ、データとは連動しないディスプレイのガラス───Houxo Que《16,777,216 view》、Evan Rothの《Dances For Mobile Phones》

ÉKRITS連載_GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成」 - インターフェイスを読む #3

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エクリでの連載「インターフェイスを読む」の第3回目「GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成」」が公開されました.今回「読む」のは,GUIのスローガンともいえるアラン・ケイの「Doing with Images makes Symbols(イメージを操作してシンボルをつくる)」です.
テキストは「Doing」につながるデバイスとして,ダグラス・エンゲルバートのチームが開発した「マウス」から始まっています.マウスが物理世界をXYグリッドに区切り,ヒトの行為をコンピュータのn次元の世界にマッピングしていきます.その後,アラン・ケイの「Doing with Images makes Symbols」を体現する「重なるウィンドウ」の考察を行っています.GUIを考察するときには「ウィンドウが重なる」ことが重要だと,もともと考えていたのですが,その重要性をうまく書くことができませんでした.そんなときに,思想家の東浩紀のゲンロンβでの連載「観光客の哲学の余白に」で取り上げられていたマーク・チャンギージーの「透視仮説」を知りました.ウィンドウの「重なり」を説明するのに,チャンギージーの「透視仮説」はフィットするのではないかと思い,書いています.その結果として,前回までは「🖐」についての考察でしたが,今回は「👀」からヒトとコンピュータとのあいだの行為を考えるテキストになっています.
よろしくお願いします👁👀👓

授業ノート:ディスプレイ時代の芸術作品_ネット公開用

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甲南女子大学文学部メディア表現学科2年生必修授業の「メディア表現発展演習Ⅰ」の授業ノートです.前半のAグループは「ポストインターネット時代の芸術作品」というテーマで授業をしました.Bグループは「ディスプレイ時代の芸術作品」をテーマにして,MASSAGEでの連載「モノとディスプレイとの重なり」を再読しながら,授業を組み立てていきました.

ディスプレイ時代の芸術作品_ネット公開用

授業ノートをネットで共有するためにレポート課題や連絡事項,及び,学生の名前を削除してあります.学生さんのコメントも読みどころだと思います.

告知:第4回新視覚芸術研究会「デジタル時代の次元の折り重なり」【追記_2017/08/08】

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8月19日(土)に京都のメディアショップで第4回新視覚芸術研究会を開催します.今回のテーマは「デジタル時代の次元の折り重なり」で,ゲストはアーティストの永田康祐さんです.「次元の折り重なり」という言葉は,永田さんの作品から考えました.

[これまでの新視覚芸術研究会→http://touch-touch-touch.blogspot.jp/search/label/新視覚芸術研究会

まだ,発表のタイトルや概要も決まっていないのですが,決まり次第,追記していきます🙇🙇🙇
➡️ 概要後にタイムスケジュールと概要を載せました✨


フライヤー(PDF)には物理的な制限でテーマの概要のショートバージョンが掲載されています.ここにロングバージョンを載せておきます.
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概要ロングバージョン

ヒトは三次元の物理空間を絵画や写真といった二次元の平面に変換してきた.次元の折り重ねが最も成功したのは,ボタン一つで撮影できる写真であろう.写真は三次元を二次元に落とし込み,二次元のなかに三次元を見せる.写真の平面には二次元と三次元とが折り重なっている.そして,20世紀はまさに写真と映画とが見せる次元の折り重ねを見続け,考え続ける時代であった.

20世紀後半にテレビ,そして,コンピュータが登場し,写真・映画の次元の折り重ねに変化が起きた.テレビは三次元を一次元の電気の流れに,コンピュータは三次元を一次元の情報の流れにした.三次元から一次元へと変換され,写真・映画がもつ世界をそのまま写し取るインデックス性が曖昧になった.しかし,コンピュータは写真や映画に擬態して,世界をそのまま写し取っているように見せている.あるいは,写真・映画のインデックスを保持しようとコンピュータがプログラムされていると言ったほうがいいのかもしれない.コンピュータはインデックス性を絶対的なものとしないため,どんなものにも擬態できるのである.

コンピュータ科学者のアラン・ケイは,「Doing with Images makes Symbols(イメージを操作してシンボルをつくる)」というスローガンを掲げて,コンピュータの画面のほとんどを占めているグラフィカル・ユーザ・インターフェイス(GUI)を完成させた.コンピュータにはプログラムというシンボルとディスプレイ上のイメージがあり,これらを操作できる.イメージを操作すれば…