投稿

ヒトとのつながりを断たれ小刻み震えるカーソル

ソウルを活動の拠点にしているShin Seung Back and Kim Yong Hunによるアートユニット Shinseungback Kimyonghun による作品《 Click 》(2013). この作品を「 一日の全クリックを記録して表示したアート Click 」から知りました.記事のタイトルが作品のすべてを表しています.約8分の映像をずっと見ているとなんとなく酔ってきます.それは画面がチカチカと切り替わっていくことと,画面中央に来るように調整されたカーソルが微妙ズレていてにゆらゆらと動いているからことが影響しているのだと思います.少し気持ち悪くなりながらこの作品を見ていると,私たち=カーソルはクリックというひとつの行為で,「リンクをとぶ」「ウィンドウを閉じる」「ファイル/フォルダを開く」「画像/文字列を選択する」「OKする」「コンピュータをシャットダウンする」「計算する」などいろいろな行為をクリックでしていることに改めて気づきます. 「私たちがコンピュータを使っている際に,マウスクリックは特別な瞬間を象徴しています」というのはShinseungback Kimyonghunの言葉です.この言葉と作品タイトルが示すように,《Click》は「カーソル」という画面中央にあり続けるように調整された画像ではなく,そのカーソルを通してヒトがコンピュータとともに行っているマウスクリックという行為を重要視しています.私は「マウスクリック」という行為よりも,その行為の主体(?)でありながら全く言及されない「カーソル」にどうしても目が行ってしまいます. 先ほどこの映像を見ていると酔ってしまうと書きましたが,それが画面上のカーソルが「私」という存在から切り離された存在として映しだされていることも影響しているのかもしれません.私ではない他人の行為を代理していたカーソルを見続けること,しかも,そのカーソルは行為の過程をバッサリと切り捨てられ,行為の瞬間だけをスクリーンキャプチャされているので,その他人=Shin Seung Back and Kim Yong Hunからも切り離されてもいると言えるのかもしれません.ヒトに操作されながら,ヒトから切り離されてしまったカーソルはそのつながりのなさを示すように小刻みに揺れているのはないでしょうか. ...

各世代の動きをとめてしまう「ベタさ」でしか「インターネットおじさん」を考えることができない

イメージ
中川康雄さんの「 インターネットおじさんとデジタルネイティブ第二世代との間に横たわるもの 〜ポスト・インターネットと世代論 〜 」がとても興味深かったので,それに乗っかって「インターネットおじさん」について書こうと思ったのだけれど,上のテキストにすべて言われている感じがして頭真っ白状態です. 中川さんのテキストで,世代の同期のエッジにインターネットおじさんがいて,世代間の「イミグラント」性がインターネットおじさんを「おじさん」にしていると指摘しているところは,「そうだったのか!」と思わず膝を打ったところ. 僕は1977年生まれだから,デジタル・ネイティブではなくて,インターネットの第一世代よりも少し下のような感じ.その視点から上のテキストとは異なることを考えようとするインターネットおじさんの「身体」の強さとかいういかにも的な枠組みしか出てこない.それでは「インターネットおじさん」をつまらなくしてしまうという感じがする. エッジで同期するリアルな身体としての「インターネットおじさん」.これはもう言われている.これだけでもういい感じがすると思っているなかで粘ってみていると,「白タイツ」という衣装が肝なんではないかと思った.なぜに「白タイツ」.白タイツゆえに強調される身体と言ってしまうと,「身体性」といったベタな話しなってしまう.白タイツゆえに消える「身体性」というのもベタか.結局,「インターネットおじさん」に関してベタな捉え方しかできないというところが,僕の限界なのでしょう.世代間の同期を考えようとしてそのズレを認識できずに,各世代の動きをとめてしまう「ベタさ」でしか「インターネットおじさん」を考えることができない. 開き直って,こうした「ベタさ」から「インターネットおじさん」って生まれたのではないのかなと仮定してみる.インターネットにおける複数の世代のあいだで強制的に同期をとるためにリアルな身体を「ベタ」に導入した結果,その思惑通りに世代間のズレを停止させる「インターネットおじさん」が生まれたと考えてみる.ここでの「おじさん」は中川さんが指摘しているようなイミグラント性をもつものではなく,単に親戚や地域の「おじさん」のようなリアルな身体をもつという意味でしかないです(こういったところに出てくる「身体」,困ったときの「身体(性)」です).そのリアル...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_19

記事を書きました→ 「インターネット・カルチャー」を特集した「MASSAGE」の第9号が刊行 インターネットには2種類のスピードがあるということを「MASSAGE」に掲載さていた作家のインタビューを引用しながら示しました.2つのスピードのひとつは歴史の形成もさせないような作品・画像流通の速さで,もうひとつは作品制作におけるアイデア→制作→発表という一連の流れ自体の速さです. [この2種類の速さというのは,私が「MASSAGE」に書いたライダー・リップス氏についてのテキスト「 『新鮮な暗闇』に立ち向かうためのユーモア 」で書いたものに通じるものです] また,最終的にはうまくまとまらなかったので削除しましたが,2つの速度とそこから生じる大量の画像の蓄積とのあいだで「イメージの中の手触り」が生じるのではないかということも書いていました.「イメージの中の手触り」というのは「MASSAGE」にヌケメさんが寄稿したインターネットとファッションとの関係を解説したテキストにあった言葉です.響きがいい言葉です.なので,どうしても使いたかったのですが… ヌケメさんとは異なる観点から「イメージの中の手触り」が生じる,まさにその状況を考えるのがとても難しかく,挫けました. インターネット・カルチャーのなかのアーティストのインタビューや ヌケメ さんのファッション記事が読める「 MASSAGE 」を是非,読んでみてください! −− 以下,ボツテキストです. カレントコンテンツのテキストの「歴史」「スピード」のあとに書いていてものになります. 手触り ニューヨーク在住のAlexander Gibon氏がスウェットやTシャツの画像にグラフィックを貼りつけた作品を大量に上げたTumblrのプロジェクト「 Bad smelling boy 」.Alexander Gibon氏は制作したグラフィックを洋服に貼りつけて発表することに対して,それは「アート」でも「ファッション」でもない「どこにも属していないもの,実際に存在していないものに属することは,とても健康的なことだと思ってる(p.103)」と述べている. グリッチ刺繍で有名なヌケメ氏は,Gibon氏のプロジェクト「Bad smelling boy」を含めて,インターネットとファッションとの関係を論じている.その論...

お仕事:インディペンデント・カルチャー・マガジン「MASSAGE」に短いテキストを書きました

イメージ
「インターネット・カルチャー」を特集したインディペンデント・カルチャー・マガジン「 MASSAGE 」の第9号に,テキスト「『新鮮な暗闇』に立ち向かうためのユーモア」を書きました.テキストはアーティストのライダー・リップスさんの2つの作品《 Refreshing Darkness 》(2013)とパフォーマンス「 Hyper Current Living 」(2013)を1000字程度で論じた短いものです.また,ライダー・リップスさんへのインタビューの質問もいくつか考えました. メディア芸術カレントコンテンツの「 平成25年度[第17回]文化庁メディア芸術祭「アート部門」受賞作品 」という記事で明貫紘子さんが現代美術とメディアアートがそれぞれの前提から解放され,入り交じるようになってきたと指摘しているけれども,上のテキストでは,現在のインターネット上の表現はこのふたつのアートの潮流から少し離れたところにありそうかなということを書いています.

2013年の振り返り

イメージ
「エキソニモの『猿へ』」の会場写真 2013年にはこの投稿を含めて95本の記事を書いています.そして,この投稿がブログ全体で499本目の投稿になります! 2013年は 新津保建秀さんの写真集『\風景』への考察 と 21_21 DESIGN SIGHTで行なわれたセミトランスペアレント・デザイン とのトークからはじまり, GIF BOOK 及び 恵比寿映像祭 への寄稿,インターネット・リアリティ研究会の座談会「 [インターネット アート あれから] と つづき 」への参加と,最初の3ヶ月に多くの活動していました. また,メディア芸術カレントコンテンツで月1でメディアアートの紹介してきました. [2012年度] 新津保建秀氏の個展「\風景+」が開催 (1月11日更新) 書評『イメージの進行形───ソーシャル時代の映画と映像文化』 (1月11日更新) 制作者から見た「GIF」:『GIF BOOK』と「GIFアニメ再起動!」 (2月8日更新) The World's First Tumblr Art Symposium がニューヨークで開催 (3月15日更新) 《Data Centers Grand Tour (This Data Belongs Here)》が示す地球の上の「データの場所」 (3月29日更新) [2013年度] 作品をコピーしあう仲間たちのクラブ:《The Copy Companion Club》 (6月26日更新) リアクションが全く生じないメッセージアプリ「ETHIRA」 (7月24日更新) オリア・リアリナ氏が新作GIFアニメ《Summer》を公開 (8月21日更新) OKFocusが顔文字ジェネレーター「Newmoticons」を発表 ლ,ᔑ^人^ᔐ.ლ (9月19日更新) デジタルアートのオークションPaddles On!が開催中 (10月9日更新) アートユニット・エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」が福岡で開催 (11月13日更新) 「いま、映像でしゃべること?- Orality in Moving Image -」が開催 (12月11日更新) メディア芸術カレントコンテンツでも取り上げたけれども, エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」 は, 三輪眞弘さんとのト...

お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_18

記事を書きました→ 「いま、映像でしゃべること?- Orality in Moving Image -」が開催 12月7日、8日に渋谷ヒカリエ 8/ COURTで開催された東京藝術大学大学院映像研究科オープンラボ「いま、映像でしゃべること? – Orality in Moving Image -」presented by GALAXY Lab. について書きました. 記事のなかで「私はここ1年くらいのあいだ,スマートフォンを使った作品に対して言語化できないモヤモヤしたもの感じていた」と書いていますが,このモヤモヤのキッカケは今回も出品していた谷口暁彦さんの個展「 思い過ごすものたち 」でした.この展示を見てブログを書いたのですがそのタイトルが「 ユラユラフラフラしているモノ 」なので,ユラユラフラフラしたモノに対してモヤモヤをずっと抱いていたといことになるでしょうか. 「いま、映像でしゃべること?」ではサムスン電子のGALAXY というスマートフォンが使われていました.タッチ型インターフェイスを備えたデバイスですが,今回は「タッチ」という部分ではなく,その板状のかたちがフィーチャーされていました.板状のデバイスがつくることができる映像の可能性を探るという感じです.ただその際に「映像」だけが取り上げられていることが気になりました.1日目のトークに出ていた徳井直井さんは私とは逆の観点ですがこのことを上手く指摘してくれています. モバイル端末を使った映像表現というとどうしてもOSが取り込んだ映像データをソフトウェアの上でごにょごにょすることを考えがち.  一方で開発者でない芸大生はまず端末を設置するフレームをレーザーカッターで作ったり,カメラにつけるアタッチメントを作ったり,端末をのせて走らせるラジコンを作ったりと、 OSがデータとして取り込む前の映像,そしてディスプレイに表示され出力される映像の見せ方,端末の「外」を最大限に利用していました. Nao Tokui loves to write.  私は徳井さんとは逆に端末の「外」を利用したものよりも,「センサーをハックする」というテキストを会場で販売されていたブックレットに書いていた谷口さんの作品のように端末の「内」も最大限に利用したものに惹かれました.それは目の前にある一枚の...

CBCNETにテキストが載りました!

CBCNETにテキストが載りました!→ 『エキソニモの「猿へ」』を読み解く 〜 水野勝仁:《DesktopBAM》がミスると猿がキーキー叫ぶ ずっと読んでいた媒体に自分のテキストが載るというのはうれしいものです! 力を抜いて書いていたら,あらぬ方向へ着地した感じなりました.でも,エキソニモが投げかけられた「猿へ」に対して,何かしらの応答ができているのではないかと思います. 上のテキストではコンピュータが「間違える」ということについて,三輪眞弘氏の逆シミュレーション音楽と絡めても書きたかったのですが,うまく書けなかったのでまた挑戦したいと思っています. そして, 『エキソニモの「猿へ」』に関して,これで5本目のテキストになります.その他のテキストは以下になります. メディア芸術カレントコンテンツに書いた展覧会全体のまとめ的なテキスト アートユニット・エキソニモの個展「エキソニモの『猿へ』」が福岡で開催 上のテキストの告知→ お仕事:メディア芸術カレントコンテンツへの記事_17  自分のブログで「1999」「2005」「2009」と展覧会のセクションごとに書いた3つのテキスト 「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(1):「1999」と全体の流れを考えてみた  「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(2):見えているからこそ,よりわからない  「エキソニモの『猿へ』」を見てきた(3):あとはPCにまかせた