投稿

5月, 2018の投稿を表示しています

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️

🖱「ゴットを、信じる方法」のためのメモ✍️

* エキソニモとライダー・リップス
    * 身体のちがい
        * エキソニモ
            * 消える身体
        * ライダー・リップス
            * スポーツする身体
    * リップス「ネット≒リアル」
        * 身体をヒンジにしてネットとリアルとを「ほぼイコール」な関係で結びつける
            * 身体がネットとリアルとを重ね合わせる
    * エキソニモ「ネット⇄リアル」
        * 身体を置いていってしまう
            * ネットからリアルへ、リアルからねっとへと「連れて行かれる」
                * 「連れて行かれる」という感覚は再制作されたゴットにはなかった
                * そもそも「ゴット」は「ゴッド」に意識を連れて行ってしまうものであった
            * 身体をどこに置いていくのか?
                * 🕳のなか?
                    * その後のディスプレイ🖥の作品との関連から考えられないか💡
        * ネット/身体/リアル
            * 身体が中心にある
                * デスクトップリアリティ
                    * surfing🏄‍♂️
            * エキソニモでは身体が消え去っている
                * ネットがリアルと直結している
                    * 身体はあるがヒンジとしては機能していない
                        * 意識が身体が抜け出る
                        * 小鷹研究室?
                            * ディスプレイ🖥と身体
                                * 世代ではなく認識の問題❓
        * 身体から場所へ
            * ネットとリアルをめぐる意識を場所にインストール
    * テキスト感覚
        * エキソニモ
         …

「ゴットを、信じる方法。」でのトークの告知💬とメモ✍️

イメージ
告知💬ゴットを信じる会が企画した展覧会「ゴットを、信じる方法。」で,エキソニモの《ゴットは、存在する。》やメディアアートの再制作を巡って,林田さんと中川さんとトークします.よろしくお願いします🖱🖥⌨️💻📱

日時:6/2(土) 15:00~(1時間半~2時間ほど)
場所:ARTZONE1階
出演:水野勝仁 (メディアアート、インターフェイス研究者)林田新(京都造形芸術大学アートプロデュース学科専任講師)、中川恵理子(京都造形芸術大学アートプロデュース学科4年生)


メモ✍️「ゴットを、信じる方法。」を見にいったときに,自分の名前を発見しました.ゴットを信じる会は,私が以前書いた「エキソニモとライダー・リップス」の記事を参考にしてくれたそうです.私も過去の自分のテキストに赤を入れて,トークに臨みたいです.
インターネット・リアリティ・マッピング(4)「エキソニモとライダー・リップス(前編)」インターネット・リアリティ・マッピング(5)「エキソニモとライダー・リップス(中編)」インターネット・リアリティ・マッピング(6)「エキソニモとライダー・リップス(後編)」このテキストでは,70年代生まれのエキソニモと80年代生まれのライダー・リップスを比較しましたが,再制作を行なったゴットを信じる会はおそらく多くが90年代生まれだと思われるので,これら世代のちがいが,インターフェイスやインターネットに対する感覚のちがいにつながるのかなどを話せたらと思います.

また,先日,展示を見たときに再制作されたゴットは,どこかゴットが特定されていた感じがありました.はっきりとは言えないのですが,この「特定」感が,エキソニモがつくったゴットとのちがいなのではないかと感じています.エキソニモはもっとアノニマスなゴットをつくりあげていたよう.つかみどころのないゴットと言えるかもしれません.エキソニモのゴットはつかみどころがないから,どこか不穏な感じがしていた.この不穏さが,今回のゴットにはなかったというとネガティブですが,「不穏さのなさ」が,今回の良さであり,考えるべきところなのかもしれないと,私は考えています.トークが楽しみです.

VRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」でのトークの告知💬とメモ✍️

イメージ
告知💬よーへんさんに誘われて名古屋のGOLDEN ARTS CAMP (黄金4422.bldg.5F)で開催されるVRトーク&ワークショップイベント「没入の宴 〜”俺の嫁”から”嫁が俺”へ〜」に出ます.私が出るのは6月24日14時からのトーク2「VRと妄想社会」です.名古屋で話すのは久しぶりで,VRについて話すのははじめてです.よろしくお願いします😊 メモ✍️VRについてはどう考えていいのか,迷いつつ,「呼吸」を手がかりにして,同一化の話をして,ディスプレイを通して体験しているUIの平面の重なりの話を経由して,身体変容へとたどり着けたらと考えています. VRにおける呼吸身体が空間に融けていく自己帰属感シャー・デイヴィスによる《Osmos》(1995)は,大きな注目を集めた作品である.HMDに加えて装着するスーツは,呼吸による胸郭の動きを検出するシステムとなっており,体験者はこれによって海底や森の中を連想させるいくつかの作品内部の空間を移動してゆくことになる.スキューバダイビングの体験が元になっているというこのインタラクティヴィティは,呼吸という身体性によるナヴィゲーションを用いることにより,まったく新たな感覚を与えた.それはデータグローブやジョイスティックによる方向の指示に見られるような,体験者が空間に対して操作を加えるという意識を与えず,自然に空間と一体化するように感じさせ,無意識的に身体を適応させるもであった.体験者は,ジョイスティックなどを使う場合よりも格段に強く,ヴァーチャル・スペースと無意識のうちに結びつく.その結果身体が本当に空間の中に溶け込んでいるような印象を味わい,ある種の感覚的状態になるといわれている.
メディアアートの教科書,白井雅人・森公一・砥綿正之・泊博雅空間自体が身体と連動する砂山──最近さまざまなプロジェクトで実験的にVRを使うことが多いのですが,テクスチャーの表面だけでぬるっと連続していくような世界への没入感は,一見するとオールオーヴァーですが,図と地が共存するような奇妙なリアリティをもたらします. 石岡良治・砂山太一対談「20世紀の遺産から考える装飾」

MASSAGE連載01_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る

イメージ
MASSAGEであたらしい連載「サーフェイスから透かし見る👓👀🤳」を始めました.今回は,第1回としてサーフィスと対になる言葉として「バルク」を提示する「サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る」というテキストを書きました✍️✍️✍️
モノのサーフェイスの続きに「バルク」という内部があるのですが,それがモノの内部だけではなく,空間も「バルク」として認識してみたらどうなるのだろうか,という話になっています.
カワイさんのカバーイラストもサーフェイスがうねって,どこかモノっぽくなると同時に,サーフェイスの表面と裏面とがつくる空間があって,それが「バルク」と言えるのか言えないのか.カワイさんのカバーイラストからも考えされられます🤔🤔🤔

📝メモをTumblrからnoteへ✍️

イメージ
Tumblrで書いてきたmemoが「999」までやってきた.タイトルで連番で書くことで「999」までは書こうとモチベーションをもってやってきた.それが終わってしまった.なので,別のウェブサービスにメモを移そうと思う.


もともとBloggerを使っていて,今も使っているけれど,インターフェイスが「メモ」するには向いていない感じだったので,Tumblrを使って,日々のメモを書くようにしたのであった.Tumblrのインターフェイスだからこそ気軽にかけたということも多くあった.その後,Bloggerにテキストをコピペしてさらに考察したということも多々あった.インターフェイスによって書けることが変わってくるというのが面白い経験であった.


メモは公開する場所に書くというのが,程よい緊張感でテキスト入力できるので,次はnoteにでもメモの場所を移そうと思う.連番にするかどうかは別にして,noteでメモを書いて,良いメモが書けたら,これまで通り,Bloggerでさらに考察していきたい.


note: https://note.mu/mmmmm_mmmmm

💋《Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《キス、または二台のモニタ》を考えてみる😘

イメージ
エキソニモ《Body Paint》を見る体験の流れを考えてみる. - 一部を絵具で塗りつぶされたモニタを見る  - モニタのフレームのなかに絵具を見る    - 通常はフレームで区切られた表面にはピクセルの光が存在する      - フレームのなかの表面にピクセルの光と絵具というモノが混在する        - 光とモノとのあいだで,見ている人の認識に混乱が生じる          - モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう 畠中 ディスプレイに映し出される人体の背景をペイントで塗りつぶしてしまうエキソニモの作品《Body Paint》(2014)も,そもそもディスプレイという,そこに映っているものに没入させる機能があるものを実体化させる行為だったと思います.そうすることで,実体が,映像であるはずですが,ディスプレイの向こうからニュッと出てきてしまう.そういうメディアとオブジェクトのあいだをすり抜けて映像が立ち上がる作品で,とても秀逸な作品だったと思います.p.94  メディア・アート原論 あなたは、いったい何を探し求めているのか?,久保田晃弘・畠中実編著


さらに,《Body Paint〉で「ニュッ」と出てきた映像から《キス、または二台のモニタ》を考えてみる

- モニタの表面から「ヒト」がニュッと出てくるように見えてしまう  - 2台のモニタを重ねたら,ニュッと出てている二人のヒトはキスできてしまう    - 実際にはモニタが重なっているだけれども…      - モニタ一面に表示された顔(フェイス)を考えて見る        - モニタの表面(サーフェイス)が映像に覆われてヒトの顔(フェイス)になる          - Body Paintのように「ニュッ」と映像が実体化していると感じるのではないか?            - 2台のモニタが重なって見ない部分ができることで,映像がニュッと実体化する?

《キス、または二台のモニタ》を《Body Paint》の流れで考えると,《Body Paint》でニュッと出てきてしまった実体化した映像を重ね合わせたのが,《キス、または二台のモニタ》ともいえるのではないだろうか.

《キス、または二台のモニタ》ではフェイスがサーフェイスを覆ってしまっていて,それゆえにフェイスが実体化するというか,モニタのフレームを超えた存在感を持っているとも…