投稿

10月, 2015の投稿を表示しています

出張報告_20151023−25

23日(金)はりんかい線東雲駅に隣接する東雲鉄鋼団地内にあるギャラリーG/P gallery SHINONOMEに行き,NORIKONAKAZATO + 小林健太 feat. Psychic VR Labによる展示「ISLAND IS ISLANDS」に行った.この展示は四つん這いにならないと通れない薄暗い通路を抜けた先に常夏の海辺を模した空間がつくられており,そこでヘッドマウントディスプレイ(HMD)を装着して立体映像を体験するものであった.映像では編集者の後藤繁雄氏が「ここで起こっていることはメタファーではなく,あたらしい次元の出来事なのだ」と述べていた.薄暗く,四つん這いでしか進めない通路を通るという儀式の先でHDMによる立体映像を体験するというこの一連の流れは「あたらしい次元の出来事」であったかもしれない.この1年であっという間に当たり前になったHDMによる立体映像はそれをただ見せるだけでは単なる技術的デモにすぎず,その映像体験までにどのような導線を用意するのかが重要になっているのかもしれないと考えた. その後,神保町のギャラリーSOBOに移り,デザインチーム・NNNNYの「エレクトリカル大0界(ダイレーカイ)」を見た.この展示は光と音の組み合わせによるエンターテイメントであった.タイトルにもあるようにどこか「あの世」を意識させるようなオブジェ群が展示空間に置かれている.そして,それらのオブジェが順々に光り,その光が空間を満たす.人は空間を満たす光と音を楽しむことができると同時に,その体験は宗教的な存在に導かれる.光と音によるエンターテイメントが宗教的な体験になるのか,宗教的な体験がそもそもエンターテイメントなのかということを考えながら,3回ほど「エレクトリカルパレード」を体験していた. 24日(土)は谷中の最小文化複合施設 HAGISO(HAGI ART)に磯谷博史,新津保建秀による展覧会「Sequence」と浅草橋のパラボリカ・ビスに「三上晴子と80年代」展を見に行った.「Sequence」では新津保氏の写真が示す「意識の移動」について考えた.特に,左右反転させた2つの大判の画像を隣り合わせで展示した作品は,プリントした画像の余白が重なった真ん中の白いラインによって意識も「左右反転」するような奇妙な体験を味合うことができた.また,印刷した画像を丸

ÉKRITS への寄稿:メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路

イメージ
「思想としてのデザインを、デザインされたテキストへ」を掲げる ÉKRITS に「メディウムとして自律したインターフェイスが顕わにする回路」を寄稿しました. 発行人の大林寛さんにネットで声をかけてもらって,打ち合わせのときに「アートとしてのインターフェイス」というお題を頂きました.そこから,これまでずっと一緒に考えてみたかったエキソニモと谷口暁彦さんの作品を考察してみました.その結果,自分的には「アート インターフェイス これから」を示すようなテキストになったと考えています.ここで得られたことから,メディアアートのもうひとつの世界を明確に示していければと考えています. お時間があるときにご一読していただれば,とてもうれしいです. そして,私のテキストをまさに「デザインされたテキスト」にしていただいた ÉKRITS の浅野さん,大林さん,本当にありがとうございました.

日本映像学会会報第172号に発表報告が載りました

イメージ
日本映像学会会報第172号に発表報告「画像とテクスチャ ―― ポストインターネットにおける2D と3D」が載りました.1000字程度の短いものです.15頁に載っています. http://jasias.jp/wp-content/uploads/2015/10/JASIAS_NewsLetterNo172L.pdf [関連記事: 発表「テクスチャを透かしてモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D-3D」の振り返り / テクスチャを透してモデルを見てみると:ポストインターネットにおける2D−3D_発表メモ ver.3.35 ] 会報には渡邉大輔さんも参加したシンポジウム「映画批評・理論の現在を問う ―― 映画・ 映像のポストメディウム状況について」の報告は読み応えがあります.そして,ヴィデオアーティストの河合政之さんの「いたるところに、芸術と思想の地平を開く」はとても興味深かったです.