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日本映像学会第41回大会で発表します.

日本映像学会第41回大会 が2015年5月30日(土)・31日(日)に京都造形芸術大学で開催されます.そこで以下のような発表をする予定です.この時期は私事で忙しさ満載ですが,がんばっていきたいと思います! −− 発表タイトル 画像とテクスチャー:ポストインターネットにおける2Dと3D 発表概要 グーグル・アースでアルゴリズムが適切に処理できずに地形が歪んで見えたり,橋が陥没してしまっていることがある.「テクスチャー・マッピング」という手法によって,2Dの画像が3Dモデルに貼り付けられているのだが,膨大な量のマッピングを自動的に行なっているグーグル・アースではこのマッピングが破綻することがある.ニューヨーク在住のアーティストClement Vallaはこのようなグーグル・アースのバグを集めた作品《Postcards from Google Earth》を発表するとともに,「The Universal Texture」というテキストで,グーグル・アースを含めた3D画像について「私たちは写真を通してテクスチャーを見ている」という指摘をした.マッピングには2D画像が用いられているので,テクスチャーも2D画像=写真であるはずだが,Vallaはその画像を「テクスチャー=質感」と呼ぶ.本発表はVallaのこのテキストを手がかりに,Valla,Jon Rafman,谷口暁彦の作品を考察し,ポストインターネットにおける2Dと3Dの関係を明らかにしていくものである.

コンピュータとまな板:ヒトは「初期値」を忘れても処理を遂行できる

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昨日は京都のメディアショップに マテリアライジング小作品展 in Kyoto を見に行って,トークイベント「情報と物質とそのあいだについて」を聞いた.ふたつとも自分にとってとても興味深いもので,思考をドライブしてくれるものだった.その思考のドライブの結果がこのテキストなので,ここには展示のことも,トークのこともほとんど書いていません. 谷口暁彦さんが言っていた「グリッチは初期パラメーターがちがうだけ」というのは面白いなと思った.初期値がちがえば,その後の処理で出てくるものがちがうのは当然であって,しかも,その処理の結果が見えているということは,処理がうまくいっているのだから,それはデータが「壊れている」ことにならなくて,単に初期値がちがうから結果もちがうということになる.初期値のちがいでしかないものものを「グリッチ」と呼ぶのは,そう呼ぶことがヒトにとって都合がよいからでしかない.コンピュータは与えられたパラメーターを適切に処理しているにすぎない.「にすぎない」と書くのもヒト中心主義的な感じがするから,「処理する」とだけ記述するのがいいのだろう.しかし,「にすぎない」と書いてしまう感覚も重要なように思える. 谷口さんは「ファイルを開くことがシミュレーション」と言っていたけれど,与えられた値からひとつの状態をつくりだしているのだから,これはシミュレーションと呼べるのではないだろうか.コンピュータの状態を決定するシミュレーションを,私たちは1日に何千−何万回も行い,その結果をディスプレイで見ている.その行為のひとつに「ファイルを開く」と名づけている.「ファイルを開く」という処理をひとつの行為として遂行できるコードを書いてくれた人がいたから,それはコンピュータ操作で簡単な行為になっている.誰かが「ファイルを開く」という行為を決定してくれたから,私たちはその行為を実行できるようになっている. コンピュータ内での行為をあらたにつくることは,コンピュータの状態を組み替えて,そこにヒトの行為を組み込むことになる.コンピュータの内部の状態を決定し,それと同じくコンピュータの外のヒトの行為も決定される.コンピュータが有限状態装置であるがゆえに,コンピュータをコンピュータとして扱うときのヒトの行為は有限になる.しかし,コンピュータをモノとして扱えるようになったとき,それはもと...

思い過ごしているうちに12時をすぎてから幽霊のことをメタマテリアルというとそれがデフォルトなのかハッキングなのかわからなくなる

iPadでカメラアプリを立ち上げる.ディスプレイが世界を映す.世界がフレームで切り取られる. ガラスのコップの棒が屈折で歪んで見える.それは単に歪んで見えているだけで,棒は曲がっていない. iPadのフレームで切り取られた世界が歪んだだけで,実際の世界は歪んでいない. 本当にそうなのか? 世界も歪んでいるのではないだろうか?  世界は歪んでいない.でも,歪んでしまう. 磨りガラスで外が見えなくなっている展示室.磨りガラスに黒のiPadが張り付いている.そこには「映像」が表示されている.遠くからみると,それは外の風景を表示しているように見える.近づいてみて,それが外の風景だということを確認する.単にiPadのカメラアプリでその風景を表示しているように見える.少しおかしい感じもする.磨りガラスで外は見えない.iPadだけが外の様子を表示している.外の様子を映していると思われる映像と磨りガラスが示す外の世界の明るさは対応しているような感じがする.しかし,磨りガラスで外の様子は見えないから,iPadが外の様子をリアルタイムで表示しているのかを確かめることはできない.さらに近づいて見れば,iPadのフロントカメラのレンズの位置に合わせて磨りガラスに穴が空けられているのを確認できる.だから,やはり,iPadのカメラアプリがリアルタイムで外の様子を表示しているにちがいないと思う.しかし,磨りガラスで囲まれた室内からiPadのレンズがとらえている世界を見ることはできない.iPadのカメラアプリだけが外の様子を表示している.カメラアプリが外の様子をリアルタイムに表示していると思っていても,磨りガラスに貼り付けられたiPadが表示しているフレーム内の映像は,レンズの前の世界から切り離されているような感じがする.iPadのフレームには歪んだ世界が表示されているのかもしれない.でも,世界は歪まないし,iPadのカメラアプリも世界を歪めてはいない.けれど,磨りガラスに貼り付けられたiPadのカメラアプリが外の様子をリアルタイムに表示しているという状況が「歪み」を引き起こすということは否定できない.「歪み」だけがiPadのフレームのなかにあるのかもしれない. 《夜の12時をすぎてから今日のことを明日っていうとそれが今日なのか明日なのかわからなくなる》と幽霊...