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名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科での特別講義:「自己」を経由しない「処理」の高度化

名古屋学芸大学メディア造形学部映像メディア学科 の伏木先生に招かれて、大学院授業で特別講義「 「自己」を経由しない「処理」の高度化 」をしてきました。 レクチャーは資料と文字起こしにその様子が記録されています。資料を作っても、そのまま話せないものです。発表をしているときに、一度最後までスクロールされてしまって、焦りました。質疑応答も学生から示唆に富む質問があって、回答するのが楽しかったです。伏木先生の質問には、一瞬頭が真っ白になってしまって、「映像というのはピクセルの操作だと思っていて」という回答をしてしまいました。このあたりも文字起こしに入っています。 「自己が薄くなっている」ということをインターフェイスの歴史から話したのだけれど、それを「悪い」ものとして捉えたくなくて、そもそも「自己」が確立している必要があるのかとかという疑問があって、「私」が何かするではなくて、私とコンピュータ、スマートフォン、AIとが組み合わされた「私たち」が何かをするときに、私の「自己」というのは薄くなった方がいいのではないかということを考えていました。 でも、話しながら、これは大きな矛盾であるということも考えました。それもまた、私が「自己」を意識しすぎなのではないかという考えになっています。私というもの、人間というものが、変わり続けることが重要で、その変わり続けていることを変わり続けているその中から記述するにはどうしたらいいのかということを、「わたしたち」は考えているのだと思います。 近頃、「私」というのは文章の中で区切りが強い気がして、わたし、わたしたちという言葉を使っています。ここでいう文章は日記なので、論文やレクチャーなどではまだ「私」でした。これからもそこでも「わたし」「わたしたち」にしようかな。 レクチャーの後に、3名の発表がありました。わたしの発表内容に惹きつけて、それぞれ発表してくれていて、聴いていて、とても刺激を受けました。即座にいい質問ができなくて、発表をなぞるようなコメントしかできませんでした。わたしと同じような考え方をしているんだというのが、うれしかったからだと思います。メディア体験を身体レベルから考えるということをして、それを発表にまとめていくというプロセスがとても鮮明で、聞いていて、気持ちよかったです。ありがとうございました! レクチャーの後にも、コメントをもら...