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12月, 2017の投稿を表示しています

2017年の振り返り

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ところどころズレたりアドレスバーが出たりしますが,アドレスバーをもっと見てもいいかもしれない🤥 2017年にはこの投稿を含めて28本の記事を書いています.2016年が35本だったから,結構減ってしまっています.こうやってブログを書く回数が減ってくると「来年こそは増やすぞ💪」と書くところですが,このくらいのペースを守るような感じで無理せずに続けていこうと思っています👻 2017年は二つの連載をしていました.一つは MASSAGE で「モノとディスプレイとの重なり」で,もう一つは ÉKRITS で「インターフェイスを読む」です. MASSAGEの連載「モノとディスプレイとの重なり」を12回目まで書いて,ひとまず第一部終了としました.編集の庄野さん,読んでくれた皆さま,ありがとうございました😚 現在,次の連載をどうするか考え中です.おそらく,タイトルが変わります. MASSAGE連載08_ディスプレイ周囲で癒着する光とモノとがつくる曖昧な風景───永田康祐《Inbetween》について MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる MASSAGE連載10_谷口暁彦《夜だけど日食》と《透明感》@「超・いま・ここ」/ ディスプレイを軸に畳み込まれ、重なり合う複数の空間 MASSAGE連載11_光/絵具で塗りつぶされたディスプレイ エキソニモ 《201704EOF》、《A Sunday afternoon》 MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》 ÉKRITSの連載「インターフェイスを読む」は第3回目まで終えています.こちらは,博論のときから継続的に考察しているインターフェイス論をアップデートしています.1月はじめに第4回目が公開される予定です.こちらも,編集部の浅野さん,大林さん,読んでくれた皆さま,ありがとうございました😚 ÉKRITS連載_最小化するヒトの行為とあらたな手 - インターフェイスを読む #1  ÉKRITS連載_スケッチパッドで「合生」される世界 - インターフェイスを読む #2 ÉKRITS連載_GUIが折り重ねる「イメージの操作/シンボルの生成」

出張報告書_HELLO, YCAM!

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12月15-17日に開催された「 HELLO, YCAM! 」では多くのトークを聞いた.そこから感じたのは,YCAMがハックできる施設であり,ハックできる人たちがいるということだった.どこでも使おうと思える建物の空間を実際に使ってみたり,多くの異なる領域を拠点とする集団がそれぞれの集団をハックしてみたりと,施設と組織自体を中の人たちが改変していく.アーティストという何もないところから始める人とともに作業をしてきたYCAMのスタッフは,0から考えることに慣れているとR&Dディレクターの伊藤隆之さんが言っていたように,YCAMは0から1にする行為を行い続けている.しかし,よく考えてみると0ではない.そこにはすでにアーティストがいて,建物があり,組織がある.けれど,YCAMはそれを既定のものとせずに,常に改変できないかと様子を伺っている.専門委員の城一裕さんを中心にして,展示施設としてだけでなく研究施設へと整備されていく様子は,国の制度をハックして,YCAM自体が改変されているように見える.HELLO, YCAM!のトークセッションは,YCAMが自らを改変していくプロセスが話されていたと思う. Sports Hackathon & Yamaguchi Future Sports Day from YCAM on Vimeo . エデュケーターの菅沼聖さんがエキソニモをゲストに迎えた「教育」をテーマとしたトークで「書き込み可能性」と言っていた.この言葉を聞いたとき,YCAMのスタッフは「書き込み可能性」を自ら拡張していると私は考えた.公共施設という縛りがきつそうで書き込みの余白がほとんどなさそうなYCAMで,なぜ「書き込み可能性」自体を拡げることができるのであろうか,ということを大学という組織に属している私はトークを聞きながら考えていた.このテキストを書いている時点ででた一つの答えは,彼らはテクノロジーをうまく使っている,ということだった.YCAMはテクノロジー万能主義ではないけれど,テクノロジーを使うことで「これまで違うことができる」ということをポジティブに考えている.「それは単にあたらしいテクノロジーを使っただけではないのか」という問いがあったとしても,それは単に「問い」でしかない.YCAMの施設,スタッフはテクノロジーを作品