建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料と簡単な振り返り


建築夜楽校2018 シンポジウム「建築のインターフェイス」で使った資料です.最後の引用として使っている『GRAPHICS FOR UI UX』(10月19日刊行予定)に書いたテキスト「思考とジェスチャーとのあいだの微細なインタラクションがマインドをつくる」は発表時よりも引用を短くしました.気になった人はぜひ本を買ってください🙏

タイトルにもある通り「インターフェイス」のことを「サーフェイス」として捉えて考えても,実際にそれは「インターフェイス」であり続けるのであって,この行き来のなかで考えるしかないのかなということを,今回の改めて考えました.発表者の一人の青木淳さんがコーリン・ロウの「透明性」に言及しつつ,「リテラルなインターフェイス」と「フェノメナルなインターフェイス」という言葉が言っていたのが気になりました.そこから,「リテラルなインターフェイス」としてサーフェイスがあって,こちらの部分はあまり評価されてこなかったから,あえて,インターフェイスをリテラルにサーフェイスとして捉えることが重要なのではないかということを考えつつ,福尾匠さんの『眼がスクリーンになるとき』で提示されている「リテラル」と絡めて考えると面白いかもしれないなどと思っています.

追記:2018/10/05
シンポジウムで3人のレクチャーが終わり,次のディスカッションへの休憩時間のあいだに,青木さんの話を受けて,谷口さんが「フェノメナルな透明性」は様々な要素が入り込んでできるものだとすると,「フェノメナルなインターフェイス」は入出力以外の要素が入り込んでくると考えられて,とても興味深い,と言っていたのが気になっていたことを思い出したので,追記しておきます.確かに,「インターフェイス」はふたつの存在のあいだにだけあるものではなくて,もっと多数のあいだにも現れるものとしても考えられるかもしれない.

このブログの人気の投稿

アレゴリーを創造するプログラムという言語的記号

告知:第4回新視覚芸術研究会「デジタル時代の次元の折り重なり」【追記_2017/08/08】

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

Poi Vol.1 featuring Nukeme_PDF

批評誌『ヱクリヲ9』に寄稿

画面分割と認知に関するメモ

MASSAGE連載01_サーフェイスから透かし見る👓👀🤳/サーフェイスからバルクとしての空間を透かし見る

メモ:「貧しい画像」はもうない

ゴットを信じる会《告白》について考えたことと,これからエキソニモとゴットのどちらを探るのだろうか?

インターフェイス再考:アラン・ケイ「イメージを操作してシンボルを作る」は何を意味するのか.