新視覚芸術研究会第4回シンポジウム「デジタル時代の次元の折り重なり」の個人的振り返り

8月19日(土)に京都のメディアショップで新視覚芸術研究会第4回シンポジウム「デジタル時代の次元の折り重なり」を開催しました.東京から来ていただき,デジタルメディアの指標性について,あらたな視点を出してくれた永田康祐さん,そして,暑いなか,来ていただいたみなさま,本当にありがとうございます!

私は「次元の折り重なりを透かし見る[👁📷🎥 → 🖥|/|👀] デスクトップ・リアリティと永田康祐《Function Composition》」という発表をしました(→発表ノート).発表は,「👁📷🎥 → 🖥|/|👀」という絵文字が示しているように単眼👁の📷のようなふたつの眼👀でディスプレイ🖥という体験に変わった時に,二つの二次元平面「| |」が重なり合って,そこに「 / 」的な透き間が生まれて,そこに三次的な表象が入り込むという流れです.

発表後のラウンドトークで,飯田豊さんが90年代には久保田晃弘さんや水越伸さんの著書を挙げながら,メディア論とインターフェイス論とが密接な関係にあったのに,それ以後,メディア論の系譜がつくられていくにつれて,二つの流れが乖離していってしまったという指摘は,確かにという学ぶところが多かったです.そして,この二つを再び結びつけるためにはインターフェイス論をメディアの原理論と考える必要があるというのは,私のこれからの課題だと思いました.

「デジタル時代の次元の折り重なり」というテーマに基づいて,発表の準備をしていて,辿り着いた前面と背面という少なくとも二つの二次元平面=層とが重なり合いを考えていました.さらには,二つの層のあいだには「透き間」と言えるような別の空間的な何かが生まれていて,それがポストインターネットと呼ばれる作品の見え方をわかりづらくしているのではないかと考えるようになりました.そして,永田さんの発表を聞いて,二つの層と一つの透き間が絶えず入れ替わるなかでのヒトの認識を表象につなぎとめる指標的な存在を見つけ出す必要があるのかなと思い始めています.

二つの層が折り重なり生まれる「透き間」というのは,東浩紀さんが言う「不気味なもの」なのではないか,という質問をシンポジウムが終わった後に受けました.確かに,発表でも東さんのテキストは重要な役割を果たしているから,「透き間」は「不気味なもの」と考えることができるかもしれません.けれど,私にとっては「透き間」は「折り重なる」というヒトとコンピュータとのあいだに起こる行為の結果から生まれるので,どうしてもそれがヒトとコンピュータにとっての「不気味なもの」と言えない感覚があります.しかし,とても気になっている質問なので,もう一度,このあたりも考えてみたいです.

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