Surfin' に見たふたつのデスクトップ───永田康祐《Sierra》と山形一生《Desktop》


Surfin' を見てきた.永田さんの《Sierra》は「乱層のデスクトップ」という感じ,と書いてみて,すぐに「乱層」ではないなと思った.平面の重なりで,デスクトップという普段は静止画のところに動画が流れることで,ひとつ土台が崩れるというか,デスクトップが平面ではなく映像となることで,前提が崩れるというか,メニューバーやドックの奥にデスクトップがあることが,もうひとつだけ奥に行っているような感じがした.何が言いたいかというと,「デスクトップ」という平面が無効化されて,その奥に映像が流れていると感じたということなんだろう.「デスクトップ」がなくなってしまっている.けれど,その他のカーソルやウィンドウは通常通りである.だからこそ,少し感覚が狂う感じがある.失われた地面の上で通常通りの行為を行うという感じだろうか.永田さんの作品によく感じる平面がパラレルに重なっていく感じを,ディスプレイのデスクトップを基準に,その前面と背面でミニマルに行なっている感じがした.となると,それはディスプレイのデスクトップという平面での前面と背面との重なりが強調されると同時に,ディスプレイというモノとそれが置かれた空間における3次元的な重なり,ディスプレイとその裏側に置かれたMac Pro,ディスプレイ下からケーブルが伸びるヘッドフォン,もうひとつの平面であるトラックパッド,そして,それらを操作するヒト,ヒトがいる展示空間といったものが平面的に重なり合っている感じがでてくる.そこでは,ディスプレイのデスクトップ基点の重なりが確かにあると感じつつも,その重なりがあやふやになっているので,3次元空間で起こるモノの重なりが不思議に思えてくる.3次元を投影したデスクトップという2次元が消え去って,その重なりがあやふやに強調されて3次元的になって,その感覚が3次元に投影されるなかで,次元が折り重なるというか,2次元と3次元とが等価に投影し合うというありえない状態が生まれているのかもしれない.

永田さんの《Sierra》を見た後に,けど,この重なりは時間差で起こっている感じがある.机の上に形成された「痕跡」が,おそらく,かつて,そこに垂直に近い角度で「デスクトップ」が表示されていたことを示している.作品にはディスプレイはないけれど,ノートパソコンが置かれていただろう痕跡から,ディスプレイがあったことが推察され,そこにデスクトップが映っていたことを考える.このとき,机の上とデスクトップとは短絡的に結びつくけれど,それらを結びつけるのは,机の上に残された四角い枠でしかない.山形さんの作品は「フレーム」を意識させる.永田さんの作品は「フレーム」というか,その「重なり」を意識させる.山形さんには「重なり」はそれほど感じない.それが興味深い.ディスプレイの向こうとこちらはともに同じフレームで収められているけれど,それらはフレームで絶対的に分けられている.フレームは2次元と3次元とを重ねるわけではなく,それらを出会わせるというか,衝突させるような感じがある.ディスプレイやコンピュータがモノである自体がフレームであって,フレームが不可侵な枠として,ふたつの世界,2次元と3次元,過去と現在といった複数の世界を衝突させている.「衝突」するということは,これらの複数の世界は同じ土台のうえにあり,等しい存在となっているのかもしれれない.

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追記というか修正 2017/06/20 出張報告書から
永田の作品《Sierra》は,デスクトップという普段は静止画のところに動画が流れることで,ひとつ土台が崩れて,メニューバーやドックの裏側にある「デスクトップ」が,もう一段感,奥に引っ込んだような気がした.動画の奥にもうひとつ「デスクトップ」があると思ってしまうような感である.山形の《Desktop》を見ると,机の上(デスクトップ)という3次元空間にある天板という平面の上に様々なモノが乱雑に置かれているのだが,そこにノートパソコンを置いていた平面だけが綺麗に残っている.3次元空間の机のデスクトップに「デスクトップ」を示し続けるコンピュータの痕跡がある.ここでは3次元的なコンピュータが示す平面的な痕跡,及び,ディスプレイ上の「デスクトップ」という2次元と部屋に置かれた机の上に散らかるモノたちという3次元的存在との重なりが起きている感じがあった.
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