サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(2)

インターフェイスの非対称性
グレーゴルは虫のかたちになった自分を行動させるのにとても苦労していました.たくさんの足はどうやって動かせばいいのか,触覚の使い方など具体的に学んでいき,そのからだに慣れていきました.では,私たちはグレーゴルのように自分の身体をヒトのかたちではない何か他のもの,OZでのアバターやビデオゲームのキャラクターになったことに慣れることができるのでしょうか.この質問は少し変かもしれません.なぜなら,ビデオゲームなどの画面内の存在を操作する経験において,私たちはゲーム内に存在するキャラクターの具体的な感覚を体験することはないからです.例えば,スーパーマリオブラザーズで「マリオ」を操作しているときに,敵にあたって「イテッ」と言ったりすることはあるけれど,具体的にその「痛み」を自分の体が感じているわけではありません.つまり,グレーゴルは虫そのものになっているのに対して,私たちはアバターそのものにはなっていないのです.アバターは私たちの分身であり,それを動かすためにはディスプレイや十字ボタン,キーボード,マウスといった「インターフェイス」が前提となっているのです.「インターフェイス」があるからこそ,私たちは苦悩もなく,自分の身体のかたちを変えることができるのです.しかし同時に,「インターフェイス」は「両手で持てる」などといったようにヒトのかたちに合わせて作ってありますので,コントローラやキーボード,マウスなどと密接な関係にあるアバターやキャラクターがヒトのかたちから抜け出せないということもおこるわけです.

しかし,他の章でも何度か書いているように,「インターフェイス」は透明な存在になることを目指していて,私たちに意識されにくい存在です.「インターフェイスを意識しない」という段階では,私たちはグレーゴルと同じように「虫」そのものになっていると言えるのです.だから,ちょっとゲームでミスったりしたときに思わず「イテッ」などと言ってしまう.けれど,たとえ意識はしなくても,そこには「インターフェイス」が確かに存在しているので,グレーゴルのような苦悩を味わうことがないのです.私たちの多くが「虫そのものになる」といったカフカのような想像力を持たないことは事実でしょう.しかしそれ以前に.「インターフェイス」がカフカのような「何かになる」という想像力をもつための前提をなくしているのです.「インターフェイス」は,誰もが「カフカの想像力」をスキップしてアバターと結びつける可能性を生み出します.誰もが自分以外の存在になれて,それをある程度の自由さで操ることを可能にしているのが「インターフェイス」なのです.

「インターフェイス」に意識を向けて,サマーウォーズに登場する人たちがどのようにアバターを操作しているかを考えてみましょう.OZのメンテナンスのバイトをしている小磯健二君と佐久間敬君は私たちと同じパソコンを使っています.つまり,キーボードとマウスによる操作です.OZでの格闘王として有名なキング・カズマである池沢佳主馬君もパソコンを使っています.佳主馬君はとても巧みにキーボードを操作して,キング・カズマそのものになっているという言えるほどです.パソコン以外でも,ケータイや携帯ゲーム機でもアバターを操作することができます.ここにはOZでのアバターの動きとそれを操作する彼ら・彼女らの動きとのあいだに大きなギャップがあるように思われます.十字キーやいつくかのボタンを押す「ほんの少し」の指の動きで,アバターは現実の私たちのように「自由」に動いているのです.指先のわずかな,そして素早い動きによる操作によって,画面上のキャラクターが自由自在に動くというのは,ビデオゲームに慣れ親しんだ人たちには,当たり前の感覚かもしれません.しかし,ここには操作する人の「指先」がキャラクター「全身」を動かすという「インターフェイスの非対称性」があるのです.

「インターフェイスの非対称性」のおかげで,私たちはOZではアバターの身体を自由にデザインできて,しかもそれを苦悩を感じることなく動かせるのです.「なんだ,そんなことか」と思うかもしれません.しかし,ここで生じているアバターと操作する人とのあいだにある「非対称性」は,とても重要なことなのです.インタラクションデザイン研究者の渡邉恵太によるビデオゲームに関する指摘から,この「非対称性」がビデオゲームに与えている影響を考えてみましょう.

ゲームの特徴として,数個のボタンだけで,実に多彩なことを可能にする仕組みを導入している.たとえば,車や飛行機の運転,サッカー,野球,格闘技.たくさんの種類のゲームを画面上で実現していること,さらに,身体を使わずにただ指を動かし,画面を見つめているだけで,ある種のリアリティや経験が得られていることもポイントである.この意味を改めて考えてみる価値はあるだろう.言い換えれば,Wiiリモコンのように,実世界で私たちが本当にそうするように体を動かすことでゲームをすることは,わかりやすさという点では優れているが,自分の身体の制約とゲーム画面内の制約の不一致によって,ゲームの世界と実世界が乖離してしまう可能性も考えられる.これら人間の知覚や制御などの観点からも,今後十分議論していく必要がある.  
渡邊恵太「インタフェースの大変動 最初の三〇年は始まりにすぎなかった」http://www.persistent.org/icc.html

渡邉さんは,ビデオゲームが操作する人とその対象とのあいだに「非対称性」を導入することで画面上に「リアリティ」を生み出していると考えています.その「リアリティ」のもとで,私たちは様々な存在になることができます.ここは誰もが納得するところではないでしょうか.また,ビデオゲームは「インターフェイスの非対称性」があるからこそ,ゲーム内容を高度化することができたのです.ゲーム内でできることを増やすには,ボタンそのものやその押し方の組み合わせを増やせばよかったからです.しかし,ゲームの高度化=操作の複雑化の結果,指先がゲームに追いつけない人が多くなりました.そこでこの非対称性を解消して,「指先だけではなく身体全体を用いてゲームをする」という発想のもちで任天堂の「Wii」などのモーション・コントローラーを用いたゲームが生まれました.マイクロソフトの「Kinect」では,身体の動きそのものをゲームに取り入れることができます.身体全体を使うことで,今までゲームをあまりやらない,得意ではない人たちもゲームを楽しめるようになりました.

では,このモーションコントロールをOZに導入したら,アバターのかたちの自由さに影響するでしょうか.これはとても興味深い問題です.十字キーなどは指先だけの動きという制限された自由が,画面上での大きな自由を作り出していました.モーション・キャプチャーは身体の動きの自由さそのものを画面上に,つまり仮想世界に反映させることができます.しかし,ここでは身体ができることしか画面上に作り出すことができないという制限が生まれることになります.身体の自由さが逆に,制限を作り出すのです.それは,ヒトのかたちとその動きからしかデータがとれないからです.例えば,アバターに「尻尾」がある場合を考えてみましょう.十字キーと複数のボタンを持ったコントローラであれば,尻尾を動かすことをひとつのボタンに割り振ればいいことですが,モーション・キャプチャーではそうはいきません.操作する人に「尻尾」をつけるわけにもいきません.そこで恐らく「ジェスチャー」などを用いて,尻尾を操作することになると思われますが,不自然で,もしかしたら恥ずかしい動きが要求されかもしれません.渡邉さんも書いているように非対称性の解消は「自分の身体の制約とゲーム画面内の制約の不一致」を引き起こすのです.

キーボードの操作であれだけすばやくキング・カズマを操作できていた佳主馬君も,モーションコントローラでは無理でしょう.たとえ,画面内のカズマが今まで通りに動いているとしても,それを操作している本人の動きとのギャップはひろがります.つまり,ボタン操作では割り切られていた,あるいは切り捨てられていた身体感覚を,モーションコントローラではどうしても意識せざるを得ない状態になるのです.ボタン式のコントローラやキーボード,マウスといった画面上の存在とのあいだに非対称性があるインターフェイスを使うか,それとも身体のすべてを使うようなインターフェイスを使うのか.モーションコントロールはインターフェイスの存在を文字どおり透明にし,使う人に「カフカの想像力」を与えるものなのです,どちらを選択するのか,それを決めるのは「インターフェイス」とその先にある存在との結びつきに対する考え方なのです.ここで問われているのは,私たちがグレーゴル・ザムザになるの否かという問題でもあるのです.

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