サマーウォーズ:身体とアバターのデザイン(1)

ようこそOZの世界へ
OZは,世界中の人々が集い,
楽しむことができるインターネット上の仮想世界です.
アクセスはお持ちのパソコン,携帯電話,テレビなどから簡単に行えます.
では,これからOZの世界を体験してみましょう.

グレーゴルの苦悩とOZの楽しさ
「OZ」は,映画「サマーウォーズ」に登場したひとつの仮想世界です.OZに住むためにはアカウントを登録して,自分の分身となるアバターを設定する必要があります.OZの説明では次のように言われています.「まずはあなた自身のアバターを設定しましょう.アバターとはOZ上でのあなたの分身です.服,ヘアスタイル,尻尾などあなたの思うままに着せ替えできます.かわいいアバターができましたね」この説明とともに,画面上でははじめに白いヒト型のアバターが提示されて,それを頭,胴体,足といった順番で自分の好きなかたちにしていく様子が描かれています.ここで行われているのは,仮想世界上での自分を作ることであり,それは自らの身体をデザインすることでもあります.自分の身体をデザインするとは少しおかしな感じです.持って生まれた身体ではなく,ゼロから自分の身体を作る機会をもつことは,今までなかったことです.けれど,自分の身体をヒトのかたちではないものも含めて,自由にデザインすることが許されているのが,OZであり,仮想世界なのです.そこでは,好きな動物にもなれるし,空想上の何かになることもできます.

何にでもなれてしまう.とてもいい感じです.しかし,ここでちょっと考えてみましょう.自分の身体が自分以外というか,ヒトのかたちではなくなるというのは,どうゆうことなのでしょうか.例えば,チェコの作家フランツ・カフカは『変身』という短編小説を書きました.小説の書き出しはこうです.

ある朝,不安な夢から目を覚ますと,グレーゴル・ザムザは,自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた.甲羅みたいに固い背中をして,あおむけに寝ている.頭をちょっともちあげてみると,アーチ状に段々になった,ドームのような茶色の腹が見える.その腹のてっぺんには毛布が,ずり落ちそうになりながら,なんとかひっかかっている.図体のわりにはみじめなほど細い,たくさんの脚が,目の前でむなしくわなわなと揺れている.(p.32) 
フランツ・カフカ『変身,掟の前で 他2編』光文社,2007年

アバターをデザインすることは,実は,ここでグレーゴルが陥っている状況を仮想世界で再現しているのと同じことなのではいでしょうか.OZではとてもポップでかわいい感じのアバターを自由に作成できます.出来上がったアバターはかわいい感じですが,それは仮想世界というもうひとつの世界にもうひとりの「グレーゴル」を生み出していることなのです.もちろん,カフカの『変身』は仮想世界を描いたものではないし,OZを作った人たちも『変身』と比較されるなんて心外だと思っていることでしょう.もちろんそこには「大きな違い」もあるのですが,自分のかたちとは異なる「自分」になるという点は同じです.まずはグレーゴルがこのあとどうなったのかを少し見てみましょう.

自分の現在の運動能力がまったく分かっていない,ということを考えず,それどころか,自分の演説がもしかしたら,いや,おそらく理解されなかったのではないか,ということすら考えずに,もたれかかっていたドアから離れ,開いているドアを通って,マネージャーのところへ行こうとした.マネージャーはもう家の前の踊り場の手すりをおかしな格好でつかんでいる.だがグレーゴルは,からだを支えるものがなくなったので,あっと小さく叫びながら,すぐに倒れ,たくさんの細い脚で着地した.その瞬間,この朝はじめて,からだが楽だと感じた.たくさんの細い脚で,しっかり床に立っている.うれしいことに,脚は完全に思いのままに動く.それどころか,グレーゴルの行きたいところへ,運んでくれようとさえする.いますぐにも,苦しさがすべて消えてなくなるのだ,とすら思った.(pp.58-59) 
フランツ・カフカ『変身,掟の前で 他2編』光文社,2007年

「虫」になったグレーゴルは,身体のかたちが変わってしまったことからくる「不自由さ」を観察していきます.そして,少しずつ受け入れていきます.2本足ではなく「たくさん」の足をもつことなど,これまで彼が生きてきたヒトという生物のかたちからは想像できないかたちになったけれど,グレーゴルはその身体に慣れていきます.果ては,天井を這うのが気持ちよいことを見つけ,そこから床に落ちたとしても「からだをうまくコントロールすることができるので,こんな高いところから落ちてもけがをすることがない」という状態にまでなっていきます.グレーゴルが虫になり,その状態に慣れていく過程を,カフカは自分が一度自分が本当に「虫」になったことがあるのではないかというほどに克明に描きます.その描写において,グレーゴルはヒトのかたちではなくなったことに苦悩するのです.

OZの世界の住人を見ていると,とても自由にかたちをデザインした自分のアバターで,いろいろと楽しそうに過ごしています.ここからわかるのは,アバターのかたちがヒト型以外であっても,グレーゴルのような苦悩は生じないようです.その一番の理由は,OZはあくまでも仮想世界であって,そこでのアバターのかたちが,実際に自分の身体かたちを変えるわけではないからでしょう.だから「身体を変える自由を楽しもう」という感じが,OZの多種多様なアバターから感じられます.ただし,「自由」とは言っても多くが「動物」をもとにしたものを二足歩行させているアバターなので,ヒトのかたちからそれほど離れていないということも事実です.つまり,頭があって,手と足が2本ずつあるというかたちが多く選択されています.もしかしたら,私たちの意識のとても深いところで,アバターのかたちをヒト型にするという制限がはたらいているのかもしれません.それはヒト型以外を選択するという意味でも,そしてその苦悩を思い描くという意味でも,私たちがカフカのような豊かな想像力を持たないことを意味するのかもしれません.私たちはどこかで自分の身体のかたちを捨て切れないでいるのですが,実は現在の方がカフカの時代よりも,身体のかたちを捨てやすい状況にあるのです.この状況の変化を引き起こしているのが,私たちのアバターのあいだにある「インターフェイス」です.そして「インターフェイスのある/なし」が先ほど書いた,虫になったグレーゴルと私たちとのあいだにある「大きな違い」であり,それによって身体に対する想像力も変わってきているのです.

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