京都工芸繊維大学_技術革新とデザイン_インターフェイスの歴史



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https://drive.google.com/file/d/0B3RHXdLnqTi-S3M3cXdUcG1Kd3c/view?usp=sharing

授業メモ
マーシャル・マクルーハンの『メディア論』はメディアによる「人間の拡張」を論じたものである.メディアの変化によって,ヒトの身体が拡張するともに,意識も変化していくとマクルーハンは論じた.それは,マクルーハンが機械の時代=身体の拡張と電気の時代=意識の拡張のはざまに生き,機械と電気という2つの技術を同時に生きたからである.ただ,マクルーハンが生きた時代の多くは機械の時代であり,それゆえに彼のメディア論は「身体の拡張」が主に扱われている.そのなかで,メディア論の最後の3章「31 テレビ 臆病な巨人」「32 兵器 図像の戦い」「33 オートメーション 生き方の学習」では機械と電気の技術の戦いが描かれ,電気時代のヒトの意識のあり方が強く描かれている.

マクルーハンのメディア論と同時代にアメリカでは今日のコンピュータ・インターフェイスに至る研究開発が行われてた.アイヴァン・サザーランド,ダグラス・エンゲルバート,アラン・ケイというコンピュータ科学者によるインターフェイス研究開発とその思想は,マクルーハンが論じた電気時代のヒトの意識のあり方を,コンピュータというメディアを用いてあらたに考えたものと考えられる.サザーランド,エンゲルバート,ケイはコンピュータ用いて「ヒトの知能をいかに補強増大していくのか」ということを考えていた.

ヒトの知能補強増大という思想に基づいたインターフェイス研究開発のなかで,ケイはコンピュータを「メタメディア」と定義し,これまでのメディアをひとつの場所で受け入れる傘のようなものと考えた.「メタメディア」は単にこれまでのメディアをコンピュータというひとつの場所に集めるだけではなく,コンピュータ特有のプロパティが既存のメディアに与えられていった.それらはこれまでのメディアをメタファーとして使いながらも,全く異なるものになっていた.そして,あたらしい行為があたらしい思考方法導くという考えのもとエンゲルバートが開発し現在でも広く使われている「マウス」とケイの「メタメディア」という考えが結びついた現在のGUIは,複数のメディアがもっていた多種多様なヒトの行為を「ボタンを押す」という最小限な行為にしてした.

ここで,ヒトの知能補強増大のひとつの結果としてインターネットができたと考えみるとどうだろうか.私たちは複数のメディアを行き来することなく,ひとつのメタメディアでボタンを押し続けながら,情報を生成し続け,そのほとんどすべてがインターネットへと吸収されていく.渡邊恵太は『融けるデザイン』のなかで,インターネットとともにあるヒトの行為を考える.それは,ヒトをインターネットというシステムにおけるボトルネックと考えることである.ヒトはメディアで身体を拡張させて,その後,拡張した身体が生み出す膨大な情報を相互に結びつけるコンピュータを開発し,そのあたらしいメタメディアとともにヒトは行為の複雑さを最小限にしつつ自らの知能を補強増大した.けれど,補強増大した結果としてのインターネットの情報をヒトは全く使いこなすことができないでいる.これまでとは異なるヒトとコンピュータの関係を考えなければならない.それは「知能としてのインターネット」を如何に活用するかということである.

「LengthPrinter: 長さを実体化する1次元プリンタ」は,一見するとヒトの行為をコンピュータがアシストしているように見える.しかし,デモ映像を見ているときに私はとても奇妙な感じを受けた.「アシスト」しているというよりも,ヒトが外部脳と接続されているな感じであった.ヒトはテープを引っ張るという行為を行い,決められた長さになったら外部脳=インターネット=コンピュータが切断してくれる.ヒトはテープの長さを気にすることなくただテープを引っ張ればいい.「長さ」が異なるにもかかわらず,同じようにテープを引っ張るというのはどこか奇妙な感じである.ここでは「インターネット」が現象・出来事・行為に組み込まれているのではないだろうか.インターネットがアクセスするものではなくなり,現象としてただそこにあり,出来事としてただそこで起こり,行為としてただ為される状態になりつつあるのかもしれない.

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