それはヒトでなくても,犬でもカメでもウォンバットでも,あるいは電動ドリルでもいいかもしれないが,ヒトじゃないとそんなこと意識しないかもしれない_セミトランスペアレント・デザインの「退屈」展(2)


セミトラ「退屈」展の《6PC 1MC》.ひとつのマウスで5つのカーソルを動かす.どこか落ち着かない感じがしてくる.画像=記号を扱った作品がピクセルとそれが表す記号との「1対1」対応を崩したように(→再帰のなかで現われるピクセル感_セミトランスペアレント・デザインの「退屈」展(1)),ここでもマウスとカーソルとヒトとの「1対1」対応が崩れている.崩れた結果として,どこか落ち着かない.


(いや,画像の作品は符号化と復号化の繰り返しだから,厳密に1対1対応をしようとするけど,コンピュータの外でそれを行おうとするから,どうしてもその対応がズレていくのが興味深いということかもしれない)

マウスの作品に戻ると,これは今回の退屈展で,ヒトがコンピュータのなかに入り込める,これは言い方がおかしいかもしれない.ヒトがコンピュータを操作するという実感がもてる唯一の作品になっている.でも,セミトラはその前提であるマウスとカーソルの「1対1」対応を崩しているから,そこにズレが生じる.今回,ズレが生じるのはヒトの感覚である.普段,マウスとカーソルを使っているヒトが多いからこそ,そこにズレが生じる.コンピュータにとっては何一つズレていない.1つのマウスで5つのカーソルが動くようにプログラムされているので,その通りに動いているだけ.カーソルがディスプレイの枠の外にでてしまうのも,そのようにプログラムされているから.5つのディスプレイとその周りの空間がXY座標で区切られていて,その座標とマウスの動きとが対応しているだけのこと.でも,ヒトは5つのカーソルと,ディスプレイの枠の外にでるカーソルを見ると「あれっ」っと思う.





「退屈」展は作品の多くが再帰的構造をとっているが,その再帰のプロセスをヒトは眺めるだけであったり,意図せずそのプロセスに入り込んでノイズとして「機能」したりするのだが,《6PC 1MC》ではヒトは入力ソースとして機能している.再帰構造の画像の作品はヒトを必要としていないと書くのは大げさだけれども,この作品はコンピュータの論理構造をノイズあふれる世界に構築してきて,その反応を見る作品と考えられるので,そこではヒトも温度や湿度,地震によるカメラの揺れなどといった論理世界を表現した回路に対するノイズのひとつにすぎない.しかし,《6PC 1MC》はマウスが何かによって動かされる必要がある.それはヒトでなくても,犬でもカメでもウォンバットでも,あるいは電動ドリルでもいいかもしれない.こう考えると別にヒトでなくてもいいのか.ただそれらヒトを含めた何かが「ノイズ」ではなく「入力ソース」として定義されていることが,画像の作品と異なるところなのでだろうか.となると,《6PC 1MC》を体験したときの「あれっ」という感覚は,自分がコンピュータを操作しているという思い込みがハズされて,自分が「入力ソース」でしかないという単純な事実を知らされているからかもしれない.



しかし,こんなズレた感覚も,5つのディスプレイを見ないで1つのディスプレイだけに注目すればすぐになくなって,いつもの感覚に戻る.そして,カーソルをディスプレイのそとから出して,上の画像のように白い壁の上で動かしても,そこではカーソルが明確に指し示すものがないからか,自分が「入力ソース」であるというズレた感覚よりも5つのカーソルを動かしている操作主体であるという感覚が強くなる.《6PC 1MC》はヒトとコンピュータとのインタラクションではなくて,ヒト自体が外界とのインタラクションのなかでどのように変化するのかを意識させてくれる作品なのかもしれない.


コンピュータにとって,コンピュータを基点とするシステムにとって,ヒトってなんなのだろうか.そんなことを考え始めると,セミトラとエキソニモがつながりだす.

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