「Paddles On!」と「インターネットヤミ市」に関する少しまとまったメモ

Paddles On! が前提としているのは「アートマーケット」.これはオークションだから当たり前だけれど,「ブラックマーケット」の「インターネットヤミ市」とは決定的に異なる部分.

Paddles On! はアートマーケットを前提としているけれども,そのアートマーケットでは「デジタルアート」と「現代美術」は決定的に異なる存在とされている.現代美術は「とても形式的なビッグリーグ」であるが,デジタルアートはそこに入り込めていない.Paddles On! はデジタルアートを現代美術のなかに組み込むためことを目標としている.だから,デジタルアートを1960年代からアートの流れに組み込む言説をつくりあげる.

Paddles ON! NY はデジタルアートを現代美術のプラットフォームであるオークションで扱うこと自体にとても「興奮」した雰囲気がある.そして,ウェブサイトやGIFといったまさに「非物質的」な「デジタルアート」を選んでいる.これはとても挑戦的である.アート界の外からは「なんで壁に掛けられない作品にお金を出すの?」といった感じである.まだまだ作品としてその価値を認められていないものを買うという行為は,ヤミ市に近い部分がある.

Paddles ON! London はデジタルアートは本当に現代美術に組み込めるのかというシビアな評価がなされている.デジタルアートは21世紀のアートの大きな潮流になるだろうが,20世紀初頭のシュルレアリスムやダダのような作品は出てきていないと指摘される.「作品」としての価値はまだまだ劣るということであろう.確かにロンドンに出品された作品はデジタルそのものではなく,デジタルな意識を応用した「絵画」「写真」「彫刻」が多かった.それらは「意識」はデジタルであたらしいかもしれないが,作品としての完成度は既にある「絵画」「写真」「彫刻」には敵わないものだったのかもしれない.この評価はあくまでも既存の評価軸のなかでの評価であるから,デジタルがあらたな評価軸をたてることになるとしたら,またその評価は変わってくるものであろう.

「アートマーケット」を前提とすることは,常に既存のアート作品と同じ評価軸でデジタルやインターネットの意識が評価されるということだから,これは意外と難しいのかもしれない.物質的なアートワールドにいかに非物質的なデジタルやインターネットを持ち込むかではなくて,最初から別のマーケットをつくってしまおう,あるいは意図的ではなくてもつくってしまったのが「インターネットヤミ市」なのだろう.確かに「ヤミ市」で扱われているものも,インターネットをモノ化したもので「物質的な」ものに意識が還元されているいるが,そこで評価の基準となっているのは「還元の面白さ」であって,モノ自体の完成度ではない感じがする.このあたりは「ヤミ市」独特の感覚なのではないだろうか.やはり,「非物質的な」デジタルやインターネットが示す質感をどのように汲みとっていくのかが重要な感性になっている.その点では「Paddles ON! NY」のほうが「London」よりもヤミ市と同じような既存のアートマーケットへの挑戦的な意識が見られたのかもしれない.

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