各世代の動きをとめてしまう「ベタさ」でしか「インターネットおじさん」を考えることができない


中川康雄さんの「インターネットおじさんとデジタルネイティブ第二世代との間に横たわるもの 〜ポスト・インターネットと世代論 〜」がとても興味深かったので,それに乗っかって「インターネットおじさん」について書こうと思ったのだけれど,上のテキストにすべて言われている感じがして頭真っ白状態です.

中川さんのテキストで,世代の同期のエッジにインターネットおじさんがいて,世代間の「イミグラント」性がインターネットおじさんを「おじさん」にしていると指摘しているところは,「そうだったのか!」と思わず膝を打ったところ.

僕は1977年生まれだから,デジタル・ネイティブではなくて,インターネットの第一世代よりも少し下のような感じ.その視点から上のテキストとは異なることを考えようとするインターネットおじさんの「身体」の強さとかいういかにも的な枠組みしか出てこない.それでは「インターネットおじさん」をつまらなくしてしまうという感じがする.

エッジで同期するリアルな身体としての「インターネットおじさん」.これはもう言われている.これだけでもういい感じがすると思っているなかで粘ってみていると,「白タイツ」という衣装が肝なんではないかと思った.なぜに「白タイツ」.白タイツゆえに強調される身体と言ってしまうと,「身体性」といったベタな話しなってしまう.白タイツゆえに消える「身体性」というのもベタか.結局,「インターネットおじさん」に関してベタな捉え方しかできないというところが,僕の限界なのでしょう.世代間の同期を考えようとしてそのズレを認識できずに,各世代の動きをとめてしまう「ベタさ」でしか「インターネットおじさん」を考えることができない.

開き直って,こうした「ベタさ」から「インターネットおじさん」って生まれたのではないのかなと仮定してみる.インターネットにおける複数の世代のあいだで強制的に同期をとるためにリアルな身体を「ベタ」に導入した結果,その思惑通りに世代間のズレを停止させる「インターネットおじさん」が生まれたと考えてみる.ここでの「おじさん」は中川さんが指摘しているようなイミグラント性をもつものではなく,単に親戚や地域の「おじさん」のようなリアルな身体をもつという意味でしかないです(こういったところに出てくる「身体」,困ったときの「身体(性)」です).そのリアルな身体がインターネットの出会うという「ベタさ」ゆえにインターネットおじさんは多くの世代や領域をまたぐ感じで注目された.そして,「ベタさ」に回収されない枠組みで「インターネットおじさん」を考えるような中川さんが出てきたことによって,各世代が動き始めて,そこに再びズレと同期の問題が生じてくるのではないでしょうか.


インターネットおじさん,ベルリンでがんばってリアル◯◯してきてください!
そして,国・文化のエッジに立ってください!
そしてそして,リアル・ダウンロード,楽しみにしてます!

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