メモ:VIlem Flusser "Into the Universe of Technical Images"


ヒトとコンピュータとの複合体としてメディアをより精緻に考えるべきだとフルッサーは考えていたと,マーク・ポスターは述べつつ,ドゥルーズもメディアを考えてこなかったとしている.
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テキストとイメージが交代すると二次元的な情報になる.

次元をもたない画像とポスト歴史→「貧しい画像」に囲まれているというのはまさにポスト歴史なのかもしれない.いやいや画像に「深さ」を求めるをやめるべきだとライダー・リップスなんじゃないの.そこに見えているものだけだし,そこにユーモアがあるかどうかでしょ.

テクノ画像がもっている幻覚的な力←これどういうことなのかもう一度読んでみるべき.

機能のための粒子・パーティクル.粒子の計算.ピクセルの計算.

「見えない可能性」から「見えている起こり得ないこと」へ.これは大きな変化←と書いたけれど何が大きな変化なのだろうか.「見えない可能性」を探ることをやめようとすることには賛成.「見えている起こり得ないこと」って,CGとかの表現なのだろうか.それもそうだけれども「手術台の上のミシンとこうもり傘との出会い」みたいな感じもありだとすると,the Joggingが日夜上げている画像のようなものになるし,それが「深さ」ではなく「ユーモア」で考えることができるとすると面白いのかもしれない.

インターネットがコピーを誘う.誘惑された認識と選択.

ヒトとコンピュータとの複合体から生まれる表象←これをあたり前に見てきた世代・状況としてのポスト・インターネットと考えてみてはどうだろうか?

「分解」と「構成」というふたつの相反する要素をもつテクノ画像.

作品(手),イデオロギー(眼),物語(指)を従えるコンピュータ・プログラム.テクノ画像の時代=世界実装の時代.

ボタンのひと押しが「公私」の区別を破壊する!→リブログというボタン!

ボタンを押し続ける→脳の構造→Tumblr!

空白に投射されるイメージ.空白ゆえのコピーなのではないだろうか?

「鏡のようにプログラムされている」だから,壊すと「本質」が生じる.世界をただ映し出しているだけではそれは世界のコピーでしかない.壊れることで世界が壊れ,鏡の本質がでてくる? 鏡の乱反射・コピーだらけのなかに出てくる本質→ラファエル/グリッチ?

イメージの循環とポスト・ヒストリー←やはりこのあたりのフルッサーの意識をグロイスとステイルのテキストと照合することから今の画像の位置づけをはっきりさせることができるのではないだろうか?

イメージとのインタラクションのなかで歴史性を失っていくこと→ブラッド・トルメルのプログレッシブ・バージョニングへということになるのではないだろうか.トルメルの言葉だけを借りるわけではないけれど…

プログラムが賢くなればハードが使いやすくなり,その分ヒトの意図は交代する→エンゲルバートの五本指キーボードに通じるところがある.

「私」は誰かが「あなた」というもの←四人称につながる「私」中心主義からの逃走を促す視点.

作家性がなくなっていく=ポスト・インターネット

インターネットとイメージとスピリチュアルとの関係

自然と人工の知能のあいだに区別はない
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フルッサーが現在の状況を予測していたというわけではないけれど彼のテクノ画像論を読んでいくと,結構現状と重なる部分が多い.それはコンピュータが示す画像を手描きの伝統的画像とテキストとの流れのなかで捉えているからだろうか.そんなことは誰でもやっているともいえるけれども時間のスパンが長いがゆえの射程の広さをもっているということだろうか.

いや,伝統的画像とテクノ画像とのあいだにテキストを挟んでふたつの画像のあいだに「切断」をつくっているところが重要なのではないかと思いはじめてきた.もちろん,テキストとテクノ画像とのあいだにも切断があって,その切断によって歴史性が欠如して「ポスト歴史」ということになり「ポスト」時代,いや「時代」ではなくてもう「状況」でしかなくて,そのひとつが「ポスト・インターネット」となっていると考えると面白い.

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