GIFとループと物語

GIF論文を書いていて,途中で外したテキスト.レフ・マノヴィッチが考えていたニューメディアの「ループ」のあり方とGIFのループとを比較することで,ループにおける「物語」の扱いを考えてみたもの.
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2001年に出版された『ニューメディアの言語』で,マノヴィッチは映像の「ループ」がニューメディアのひとつの特徴だとしている.そこには長時間の再生が難しい当時のコンピュータのスペックの問題があった.そして,マノヴィッチはループの映像の例として,QuickTimeやFlashアニメーションを取り上げる.さらに,マノヴィッチは初期映画とニューメディアはともに「ループ」というテクニックを用いていると指摘すし,映像の歴史を「19世紀の前映画的視覚的デバイスもまたループに頼っていた.19世紀を通じて,ループは長くなっていき,最終的には「物語」へと至った」と簡潔にまとめる.「物語」を語れるほど長く映像を再生できないので,ループ映像が必要だっというのがマノヴィッチの考えの根底にある.マノヴィッチにとっての「ループ」とは物語に従属した要素のひとつであって,「物語を駆動するエンジンとしてのループ」なのである.それは,彼がデジタルの5つの特徴としてあげたもののひとつ「モジュール性」と関係がある.

マノヴィッチが制作した《Software Cinema》や,ループ映像の例として取り上げられるジャン=ルイ・ボワシエの《押し花》は,ループする映像を次々とクリックしていくなかで物語が進んでいく構造になっている.クリックとクリックのあいだ映像が常に動いている必要があるが,長時間の映像を再生させることは難しく,短い映像のループが採用される.そして,映像へのリアクションであるクリックによって物語が分岐していき,ループ再生による映像が物語の「モジュール」として機能していく.ここでのループはプログラムの基本構造のひとつである「次の出来事」へ分岐するためのループとなっている.マノヴィッチが考える「ループ」は,プログラムの構造に基づいたヒトとコンピュータとのインタラクションの基本であるデータの処理を再帰させながら「次へ次へ」と選択を迫る性質を,「物語」を駆動する力に応用した映像なのである.

技術的制約のもとループに着目したマノヴィッチだが,同じ制約のもとウェブで使われているGIFに言及することはない.それは,GIFが「動画」であるにもかかわらず,物語の一部にもならない「動き」を切り取った「静止画」のような特殊な性質をもったものであり,そこで強調されるのは「物語」ではなく,デフォルメされた「動き」だからである.GIFのなかでも物語を求めるものはあるが,それはひとつのループのなかで完結するものが多く,より大きな物語への従属という感覚はうすい.さらに,「再生ボタン」を持たないGIFは,ヒトとコンピュータとのインタラクションを否定する.映像とヒトとの最低限のインタラクションである映像の再生と停止すらできないのが,GIFなのである.このインタラクションのなさと「ループ」する映像から,GIFは「閉じた」印象を見る者に与える.

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