ユラユラフラフラしているモノ

この週末はICCのトーク[インターネット アート これから つづき]があり,ゲンロンカフェでのエキソニモのトーク「芸術係数「夜の世界のネット・アート」エキソニモ×辻憲行 」があり,谷口暁彦さんの個展「思い過ごすものたち」と盛りだくさんの内容でした.どれから考えるべきなのか,頭がいっぱいいっぱいな状態です.2012年度を締めるためにも,ちょっとずつ書いていきたいな思っています.
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谷口暁彦さんの個展については,いろいろなところで書かれてると思うのですが(写真がたくさんあります→谷口暁彦 個展「思い過ごすものたち」フォトレポート),僕的にはタッチデバイスしか使っていないというところが面白いなと思ったわけです.「思い過ごすものたち」というタイトルの掴めなさ.ここにはメタファーがありそうでなくて,物語が紡がれそうで紡がれることもなく,「思い過ごしたものたち」でもなくて,「思い過ごすものたち」ということで,時制が行ったり来ている感じがして,どことどことが触れ合っているのかもわからない感じがする.

なんかこの言葉の届かなさ.「でも」というか「さらに」というか,谷口さんは自分でテキストを用意していたりする.なにかこの「ものたち」と「言葉」のあいだにあるものを考える必要がある感じする.いや,言葉は必要ないのかもしれない.吊られているものたちとテキスト.水で書かれるテキスト.iPadからつられる鉛筆.鉛筆が書くテキストと水が書くテキスト.そして,揺れるiOSデバイスというものたち.

谷口さんがiOSデバイスを使っていて,そのなかでも「吊るされている」ものたちがとても気になる.天井から吊られてゆらゆらしているものたち.ディスプレイと一体となっているものたちがゆらゆらとしている.その掴みどろころのなさというのか,なんだろう.そこには吊られているものたちがゆらゆらしているものがあって,それは平面的なデバイスを際立たせている感じがした.それは「ものたち」なんだけど,ディスプレイという平面に映っているイメージでもある.それはイメージのようでありモノではない感じ.でも,それは「ものたち」.イメージが映された平面はたしかにモノたちということが重要な気がする.

例えば,天井から吊られたiPadにCGで描かれた箱に入ったティッシュペーパーが映されていて,ゆらゆらとしている.「ゆらゆらしている」のは,送風機の風によって揺れているiPadそのものもであり,そこに映されたティッシュペーパーでもある.でも,風によって揺らされているのはiPadだけで,そこに映されたティッシュペーパーは風とは関係なく揺れている.風と映像とのあいだには直接的なインタラクションはなく,映像はループとなっている.一見すると,風と映像とのあいだにインタラクションを見てしまいそうだけれども,実際には何も関係がない.しかし,風によってiPadが揺れているから,全く関係がないかというとそういうことも言えない.物理的レイヤーではしっかりと関係しているが,そこでのイメージでは全く関係していない.それを見る人のなかではイメージと物理的レイヤーの関係が「ある/なし」ということで考えられてしまう.つまり,「ある」にしろ「ない」にしろ,いずれにしてもつながってしまう.

インターフェイスを軸として考える僕としては,谷口さんの個展をiOSデバイスというカーソルとマウスというGUIのデバイスとは異なるコンピュータ体験から生じてきたひとつの作品群として考えようとしているのですが,ここにあるのは「タッチ」ということではなくて,「タッチ」ということが可能にした「板状」のデバイスのあり方のような気がしてきた.吊るすことできて,ちょっとしたことでゆらゆらしたり,その薄さゆえに磁力を通してしまい,水が流れていく「板」としてのモノにイメージが映し出されるようになってきたことが意味することを汲み取ること.普段はモノを持って,タッチをしているわけですが,今回は自分では持つことができずそれらは吊られていて揺れていたりする.

ユラユラフラフラしているモノとそこでユラユラフラフラしているイメージとの関係を考えてみるために,と書いてみたところで,モノとイメージという区別はなくて,ここにはユラユラフラフラしているモノしかなくて,そこに勝手にイメージをあるものとして見てしまうようなユラユラフラフラした領域を見る人のなかにつくりだしているのかなと思う.

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