GIF 3D Galleryの考察:最前面の画像の立体感/モノ感

谷口暁彦さんの「GIF 3D Gallery」.気になっていたけれど,取っ掛かりがなくてそのまま.そのあいだに海外のサイトにも紹介されていて,それでもなかなか考えられずにいて,多分今もそうなんだと思う.

「GIF 3D Galleryの考察:最前面の画像の立体感/モノ感」というメモ書きが,僕のMacのディスプレイにあります.GIF BOOKで「The Gif Connoisseur」を考察したときに,「最前面−前面−背面−最背面」という重なり=距離の問題を指摘しました.GIFをみている「おじさん」は「最前面」でGIFを見ているということを考えました.そのあと,GIF論文を書きながら,GIFを見ている「おじさん」は,GIFを見ているのではなくGIFと衝突しているのではないかと考えました.でも,よくよく考えてみると「衝突」はしていない,だけど「遭遇」はしていると考えるようになりました.「見る」というよりも,もう少しなんか「モノ」というか,そこに存在するものに出くわすという感じ.そして,ディスプレイにGIFを見ている「おじさん=私」も,GIFと遭遇しているのではと考えたわけです.

おじさんが最前面にいるように,ディスプレイを見ている「私」も「最前面」にいるという感じ.「レイヤー=層」というような別々の平面にいるのではなく,同一平面にありながら,重なり順が異なるという感じ.Illustratorを習得するときに,オブジェクトの重なり順というのがイマイチ体感できかなった.「レイヤー」はすんなり理解できたけど,オブジェクトの重なり順は違和感があった.でも,考えてみれば,描いた順に重なるというのは,リアルの世界で出来事に近いというか,そのものなんですね.でも,それに対して違和感を懐いた.「レイヤー」という程には明示されない感じに違和感を感じたのだと思う.Illustratorのレイヤーのウィンドウを開いて,さらにひとつのレイヤーを見れば,オブジェクトの重なり順を確認することができるから,レイヤーと同じと言えば同じなんだけれど… レイヤーのなかにレイヤーがあるような入れ子になっている部分に違和感を感じているのかもしれないと,書きながら思った.で,言葉もちがう.「レイヤー」と「オブジェクトの重なり」.言葉がちがうのであればその存在のニュアンスもやはりちがう.

それはそれとして,谷口暁彦さんの「GIF 3D Gallery」.これを体験していると「最前面の画像の立体感/モノ感」という感じを受けるわけです.層よりも「うすい」,最前面という「うすさ」にあるような画像ようにみえるけれど,台座にのった「モノ」.ここで「うすい」という言葉を使ったけれど,それが正しいのかどうかわからないです.下のスクリーンショットが示しているように,earth.gifにちがづいていくと,通り抜けてしまいます.近づいていくとピクセル状になります.そして近づきすぎると,ちょっとしたことで通り抜けてしまう.GIF 3D Galleryでの「通り抜けてしまう」という感覚は新鮮な感じがします.そこに壁があって,それを通り抜けてしまったという感じでもない.通り抜けてしまうのを知っていながら,通り抜けるんだけれど,通り抜けた瞬間に「あっ,通り抜けてしまった」という感覚が起るという感じ.そこに「うすさ」,何かの「モノ」を感じることはできないような感じがする.でも,確かに何かを通り抜ける感覚がある.

http://okikata.org/study/test73/?url=http://www.cbc-net.com/blog/sembo/files/2011/11/earth.gif

台座に置かれたearth.gif
GIFへの接近
earth.gifへの接近
確かに台座に載っているearth.gif
GIFとの遭遇
ピクセル
最接近
通り抜けた…



The Gif Connoisseurの鑑定士はこんな感じでGIFを見ている?

GIF横


こんな感じがおこるのもGIFという画像ファイルの特徴なのかなと思いつつも,このことを考えていて,ドン・ハーツフェルトの「人生の意味」(メランコリックな宇宙 ドン・ハーツフェルト作品集 [2013年3月17日時点ではオンラインショップリニューアル中]に収められています)でのヒトが行き交うシーンを思い浮かべました.ここにGIF 3D Galleryと同じような「最前面の画像の立体感/モノ感」を感じるというか,こちらの場合は「最前面−前面−背面−最背面の画像の立体感/モノ感」を感じました.



とてもシンプルなキャラクターで,そこに「重なり」を強く感じる.そこに存在を感じる.ここで描かれているヒトはヒトとすれ違っているようにも見えるし,通り抜けているようにも見える.でも,その存在の感じは,リアルのものと微かにズレている.けど,圧倒的にズレているというか,フィクションというか,絵空事ではない感じに留められているような感じがします.



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