エイヤ=リーサ・アハティラの《受胎告知》に感じた「後ろの移動」の気配

大阪の国立国際美術館に行って「夢か、現か、幻か」を見てきた.お目当ては,エイヤ=リーサ・アハティラの作品《受胎告知》.映像作品の展覧会はひとつひとつ作品をきっちり見ようとすると,とても時間がかかるので,まずはすべて無視してアハティラの作品を会場で探す.しかし,会場は暗く,そして迷路のようになっていて,なかなか辿りつけず.そうこうしている間に床に青いカーペットが敷かれた通路にでて,やっと,アハティラの作品に辿りつけたわけです.

アハティラの作品は「映像」であるがインスターレションでもあって,展示室全体,そして,そのアプローチの通路にまでカーペットを敷いてあることが多い.今回は青いカーペットの大きな空間に,3面スクリーンと鑑賞のための黒い椅子が6つ.

3つの映像は壁にひとつひとつ投影されていて,椅子に正対した壁の映像が中心より右寄りに投影されていて,右の壁に映し出された映像と近接している.この2つから少し離れるかたちで左の壁にもうひとつの映像が投影されている.

これらの映像を一度に見ることは,右の2つと左の1つが絶妙に離されていて,おそらくできない.少なくとも私はできなかった.2つの近接した映像が主にストーリーをすすめ,もう1つがその場の風景や細部を映すということが多かった気がする.

映像で一番驚いたのは,右のスクリーンから左のスクリーンへ登場人物が移動したときである.普段は真ん中のスクリーンを経由して,登場人物はスクリーン間を移動するのであるが,ごくまれに右から左に直接移動する.そのとき,背後を人物が通った感じがしたのである.鑑賞用の椅子に座って見ていたのだが,この椅子は背後の壁から少し離なれて置かれている.それは鑑賞者の通路になっているわけだが,この椅子と壁との距離もあって,右のスクリーンから左のスクリーンへと人物が移動すると,何も投影されていない壁に一瞬だけ人の気配がする.人の気配というか,「移動」の気配といったほうがいいかもしれない.なんとも言えない感じであった.

私は体験したことがないのだが「SRシステム」における目の前に人がいるのかいないのか,わらかなくなる感じというのは,アハティラの作品における「後ろの移動」の感じに近いのかもしれないと思った.マルチ・スクリーンでは,スクリーン間の移動が起こった際には,そのあいだにあると思われる「映像」を補完してみていると思われる.スクリーン間の距離が近かったり,それらが視界のなかに入っていれば,移動の「補完」は視覚がすべて処理してくれる.しかし,移動している「あいだ」が見えないところでは,それを視覚で補完することはできないのではないだろうか.なので,いきなり右から左へと「ワープ」した感じを受けてしまう.「ワープ」と書いたけれども,実際は見えなくても「移動」しているわけなのだが,見えていないとその実感が掴めず,なんとも変な感じが自分のなかで発生するのである.

また,アハティラの作品の特徴として3つのスクリーンに同じ字幕が同期して表示されるということがあげられる.今回も,日本語の字幕がつけられていた.この字幕によって,3つのスクリーンのが「リアルタイム」に同期していることが示される.3つのスクリーンのうち,とくに左側の映像は登場人物が映ってなく,ただ風景や鳩などが映っていることが多いのであるが,字幕がそこにも等価につけられるので,どうしても,そこにも注意を向けざるを得なくなる.

この字幕は登場人物たちがひとりずつ話してくれているときは,とても効果的である.しかし,複数の人たちが複数のスクリーンで同時に話しだすと,どのスクリーンに対応した字幕かがわからなくなる.今回は,登場人物たちが自己紹介するときに,この混乱がやってきた.「混乱」と書いたが,先ほどの「後ろを人物が通る」感覚のように,とても興味深い体験である.字幕と声の主とのあいだにはズレは生じていないのだが,3つのスクリーンをどうにかこうにかよく見ようとする鑑賞者には,3つのスクリーンに同期する字幕と声の主とが分離していくように感じられるのである.3つのスクリーンを見ようとせずに,ひとつに集中すれば,このズレは起きないだろうなと思いつつも,私はどうしても3つを確認してしまい,こんがらがってしまった.(もちろん,登場人物たちが話すフィンランド語を知っていればこうした反応にはならないと思うが,フィンランド語を知っている人の数を考えると,アハティラの作品は字幕込みで鑑賞している人の方が圧倒的だと考えられる.)

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