Fragmentation のためのメモ:もうひとつの選択範囲

すべてを選択するのではなく、一部を選択すること。選択した一部の範囲をループさせること。そこだけ、時の流れが滞留する。画面の中の人は、誰も気づかない。画面の外で映像を見ている人は気づく。

世界の一部をカメラで切り取った映像は、すでに断片化している。世界を断片化する映像の一部に選択範囲を指定して、そこだけ時の流れる方向を変えて、さらに断片化する。最初の断片化が空間の断片化だとすると、次のものは時間の断片化と呼べるかもしれない。空間を断片化するカメラの存在には、映像内の人々は気づくことができる。しかし、編集上で決定される画面内の選択範囲とそこで施される時間の断片化について、映像の内の人々は知ることができない。

画面の中に滞留する時の流れを作り出すこと。映像を見る人はそこに注目する。なぜなら、時間が滞留しているから。ループする時間に人々は注目する。それは、普段体験することがないから。時は流れるもの。だから、滞留する時間には、人々は注意を向ける。それが操作された時の流れであっても。

滞留した時間に意識がいくほど、今度は普通の時の流れが気になり始める。普通の時の流れが、意識を向けられるもうひとつの時間となる。特別なわけではないが、「もうひとつの」という言葉が与えられることで、普通の時の流れの意味は変化する。選択範囲を一度決めることで、「選択範囲を反転する」という選択肢が生じる。反転した選択範囲は、「すべてを選択」していたときとは異なる意識を見る人に与える。

「多くの」ではなく、「もうひとつの」くらいが丁度いいのかもしれない。人が意識を向けることができるのは、意識を向かう先と、さらに「もうひとつ」くらいなのではないだろうか。意識が向かう先がひとつあり、さらに多くのことを意識することはできない。意識が向かう先のもうひとつ先くらいにしか、人の意識は選択範囲を定めることができないのではないだろうか。

このブログの人気の投稿

MASSAGE連載12_ディスプレイなきディスプレイ場/ラファエル・ローゼンダール《Shadow Objects》

マジック・メモ:行為=痕跡=イメージの解体可能性

インスタグラムの設定にある「元の写真を保存」について

スライド:映像文化 第4回|テレビ:同じ時間にみんなで見るから,共有の場へ

《ゴット・イズ・デット》が示すインターネットの「不穏さ」

カーソルについての講義のコメントに対するコメント

札幌国際芸術祭のメモ:松江泰治とラファエル・ローゼンダール

メモ:台風→情報の流れ→GIF→複合体としての主観

MASSAGE連載09_小林椋《盛るとのるソー》 ディスプレイを基点に映像とモノのあらたな「画面」状態をつくる

告知:第4回新視覚芸術研究会「デジタル時代の次元の折り重なり」【追記_2017/08/08】