何がマジックで,何がマジックではないのか?

Apple TV Remote Concept
アップルTVが出る前に妄想されたアップルTVのリモコン(この記事を翻訳された藤シローさんのページ→MACLALALA2).

このリモコンに対してのコメントで興味深いのが以下のもの.
たしかにおもしろいアイデアだ.でもどうかな.iPhone/iPad のユーザーインターフェイスのマジックは,平らな表面に指をのせて,タップ・スライド・ドラッグすることではない.直接に操作すること,スクリーン上の目に見える対象物に実際に触れるという点がマジックなのだ.抽象的なレイヤーは剥がれ落ちてないのだ.だからこそマックで使う Magic Trackpad は iOS デバイスのような感じがしないのだ.
こんなリモコンがあったら… 
私たちがiPhone/iPodで行っているのは,指をスクリーンの上で滑らせることで,見えているイメージを「直接」触れることであるという指摘.確かに,Magic Trackpadを使っているときの感覚とiPhoneを使っているときの感覚はかなり違う.行っている手の行為はほぼ一緒なのにもかかわらず,視覚との関係で与えられる感覚が異なったものになるのは面白い.

イメージと手とが一緒に見えているiPhoneは,イメージに「直接触れている」として,マジックと言わる.対して,イメージと手とが離れているために,手を見ることなくイメージを操作するMagic Trackpadは,イメージに「直接触れている」感覚を与えないためにマジックとは呼ばれない.Magicという言葉を使うならば,バラバラの場所のものが対応して動くMagic Trackpadの方が,マジックのような気がするが,ここで「直接触れている」という,ヒトが古来から行ってきたことのほうがマジックと呼ばれている.だが,ここで商品名に注目するならば,「マジック」・トラックパッドである.

ヒトとコンピュータとのあいだでおこるインタラクションでは「何がマジックで,何がマッジクではないのか?」.もちろん本当に意味では,すべてがマジックではない.個人の感覚によるところが大きい問題ではあるが,ヒトとコンピュータとのあいだに生じる「マジック」とは何かは考えてみると面白かも知れない.

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