カフェで平面についていろいろと考えたメモ

カーソルがあるGUIとカーソルがないタッチにおける平面の差.これは単にインターフェイスの問題だけなのだろうか.

カーソルを動かし,スクロールバーを上下させて,平面を上下させる.スクロールバーを手で動かしている感じ.対象を掴むという感覚.対象は,平面から独立している.

タッチの場合は,対象が載っている平面自体を動かすという感覚.平面が動くから,その上に載っている対象も動くという感じ.平面の上に載っている対象は,対象として独立していない.載っている平面に結びつけられている.

平面に対する感覚の違いは,インターフェイスの問題だけにとどまるものであろうか.ここからアートやアニメの問題に広げて行けば,ひとつの平面論が構成できるのではないだろうか.

石上純也のとても薄い天板を持つ《テーブル》における,極限にまで薄い平面とそれを支える構造との関係.
藤幡正樹のインタラクティブではない作品《未成熟なシンボル》におけるプロジェクションが作り出す極限にまでに薄い映像世界とモノの厚さとの関係.
藤木淳の《無限回廊》における二次元と三次元とのあいだの関係.
パターンがはめ込まれたアニメにおける平面.(このパターンが二次元と三次元とのあいだにある次元を作り出していると指摘する論考があるらしいので読んでみる.)

これらは二次元と三次元とのあいだに漂う新しい平面の問題を提起しているような気がする.

カーソルをもつGUIの平面は,二次元でもなく三次元でもない新たな平面を作り出したと言われるが,タッチのインターフェイスは,とても二次元的な気がする.どこまでも二次元だけで成立している平面.これはこれで今までとは異なる仕方で,平面が構成されている気がする.

GUIが一般化して,それがタッチに変わろうとするときに,建築やアート,ゲーム,アニメの領域でそれぞれ新しい平面を示すような作品が生み出されていること.ここに共通する何かを見つけ出すことはできるであろうか.コンピュータによって可能になったGUIが示してた新たな平面.そして,その新たな平面を自ら更新するコンピュータ.

二次元と三次元とのあいだに漂う新たな次元を探る一方で,二次元であり続ける平面が生み出されてきていること.

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