カーソルとアンフラマンスに関するメモ

エキソニモの作品タイトルが《↑》であることに注目しよう.タイトルが「カーソル」ではなくて「↑」であること.カーソルの形は「↑」でなくてもいいが多くが「↑」であることを考える必要がある.

カーソルが画面上にあることで,いくつもの「あいだ」が生じる.カーソルは,その「あいだ」を行き来して,これでもあり,あれでもある存在になる.どちらにもなれるが,どちらかでしかない.

私たちは現実空間と仮想空間の存在を自明ものだと思い始めている.ここに確かにふたつの空間があり,その境界線があると.しかし,エキソニモの作品はこの境界線の存在自体を疑うものだ.もともとふたつの世界のあいだに境界線があるのではなく,境界線を生み出すような何かがあるので,「あいだ」が生まれ,ふたつの世界の存在が意識される.エキソニモはその「何か」のひとつが「カーソル」だと考える.カーソルを使った現実空間と仮想空間とのあいだを明確に作り出し,意識させる.エキソニモの作品が興味深いのはあいだを作り出しながら,その境界線を曖昧にしてしまうことだ.明確に境界線を示しながら,それを曖昧にすること.それは境界線をとても薄いもの,マルセル・デュシャンが提示した「アンフラマンス」にすることである.カーソルはアンフラマンスを作り出す.そして「↑」の形が,アンフラマンスを通り抜けていく.ふたつの世界のあいだを行き来する「↑」.カーソルはふたつの世界のあいだを行き来するという重要な役割ゆえに,その形が,「↑」なのである.
「矢印は超薄膜現象をひきおこす」
矢印は単体思考の否定である.またその連続は実体を痕跡に変えるが故に実体よりも経過を,経過の軌跡を重要視する.(p.238)
宇佐美圭司『デュシャン』
「↑」は現実空間と仮想空間のあいだに薄い膜をつくり,そこを通り抜ける.

エキソニモはカーソルをマウスとの関係から考察をはじめ,最新作ではカーソルそのものの存在の意味を「↑」という形から明らかにしている.カーソルは「モノと映像」,「映像とデータ」のあいだ明確に示しつつ,それを乗り越える存在であり,それは現実空間と仮想空間とのあいだにある境界線を曖昧にするアンフラマンスな現象を作り出す存在なのだ.

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