昨日カフェで書いて,そのあと日曜の午前中に書いたメモ

《未成熟なシンボル》では,ヒトの身体は平面化されない.モノとしてのトランプとイメージをトランプとの重なりでひとつの不可思議な平面が成立しているにも関わらず,ヒトの身体は作品に招き入れられない.それはただ単にインタラクティブでないということだけではない.

平面は身体を招き入れないという意味では,平面のままだが,平面的なモノであるトランプとプロジェクションされたトランプのイメージとの重なりによって不可思議な空間が生まれる.そこで,出来事が記号化される.空間でありながらも平面でもあるということが生まれる.

平面的であるがゆえに立体とみなされないモノとしてのトランプ.それは単なる記号として扱われる.平面の記号にヒトがアクセスする.ヒトはモノとしてのトランプを動かすことができる.当たり前のことであるが,机の表面という平面の上で,平面的なトランプを動かすヒト.動かす瞬間にモノとしてのトランプは立体となる.手で持つことで,かすかな厚みが生じる.平面的なモノとしてのトランプは.平面と立体とのあいだを行き来している.

対して,イメージとしてテーブルの上にプロジェクションされているトランプは,常に平面的である.ヒトはこのイメージとしてのトランプにアクセスすることができない.触ることができないが,手の上に「のせる」ことはできる.触るのではなく,「密着」させること.テーブル,トランプ,ヒトの手.このトランプはあらゆるモノの表面に密着する.それは「かさなる」という言葉が単に与えられているだけで,今までの意味での密着とは異なる新しい体験である.

《未成熟なシンボル》は,インタラクティブな作品ではない.しかし,それ故に,プロジェクションの意味に意識が向けられる.モノの表面にイメージが「かさなる」こと.「かさなる」ことでイメージは単なる平面のままでありながら,立体となりそうになる.今までの感覚では「立体になり損ね続ける永遠の平面」.映画は常にそうであったが,スクリーンは手を触れてはいけないモノであるから,このことを忘れることができた.しかし,テーブルという触れられるモノの上に,トランプという手で扱うモノをプロジェクションすることで,藤幡はそこで投影されているイメージが「立体になり損ね続けている平面」であることを意識させる.しかも,このイメージはインタラクティブではない.ゆえに,操作できない.身体が平面化しない.だから,「イメージを操作してシンボルを作る」ことができない.プロジェクションされたトランプはいつまでも「未成熟なシンボル」であり続ける.

藤幡は,モノとしてのトランプとイメージとしてのトランプを並べて置くことで,ヒトの身体を作品に招き入れインタクラクションを生み出している.ここでは,イメージがモノになるのではなく,モノがイメージとして扱われる.立体的なモノを平面に投影されているイメージと等価に扱うようになる.そうするとモノとしてトランプは物理法則に基づいた動きしかできないことに気づく.イメージのトランプの動きの自由さにはかなわない.モノとしてのトランプの方がひとつの法則に縛られているということで「未成熟なシンボル」になる.

つまり,そこにあるモノとしてのトランプも,プロジェクションされたイメージとしてのトランプのどちらもが「未成熟なシンボル」ということになる.では,どちらが成熟できるか.それはコンピュータとのつながりを持つことができるイメージとしてのトランプであろう.物理法則から逃れながら,ヒトが操作できるようになることで,イメージとしてのトランプは成熟したシンボルとなる.

《未成熟なシンボル》では,ヒトの行為と出来事が平面化される.机の上の2つのトランプの「かさなり」で行為と出来事が起こる.《Beyond Pages》では立体化された「行為と出来事の地図」が,《未成熟なシンボル》では,立体化されることなく平面のまま提示される.藤幡はコンピュータを使うことなく,つまりインタラクティブな状況を作らないことで,コンピュータ内部にある「行為と出来事の地図」を提示することに成功している.インタラクティブではなくただプロジェクションされたイメージとしてのトランプは,ヒトの行為に反応しないがゆえに,ヒトの行為は立体化しない.つまり,平面と立体とのあいだでコミュニケーションが成立しないのだ.しかし,モノとしてのトランプが置かれていることで,机の上というごく薄い平面でモノとイメージとのあいだに「かさなり」が生じて,そこにコミュニケーションが成立するのだ.

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