次の学会発表のためのメモ(9):何を見ているのか?,ライフログ

発表のアウトラインを Twitter を使ってまとめてみる.それはブログにまとめて,気になるところは書き直す.短い文章を書くための訓練.
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何を見ているのか?
鑑賞者はエキソニモ《断末魔ウス》,dividual《タイプトレース》を見ているとき,何を見ているのか.破壊されるマウスの映像とディスプレイを揺れ動くカーソル.一度自分が打った文字列が,文字の大きさがそれぞれ違う形で再生されていく映像.記録映像とライブ映像とのあいだの映像.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13555263401

カーソルと大きくなる文字
《断末魔ウス》でマウスが破壊されていく映像は,記録映像である.その記録映像にはマウスが破壊されていく様子は写っているが,カーソルは写っていない.《タイプトレース》では,ユーザが打った文字列が再生されるのだが,文字の大きさが変化している.この文字の大きさは記録されたものではない.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13556908140

「かつてそこにあった」ではない
《断末魔ウス》のカーソルと《タイプトレース》の文字の大きさの変化は,「かつてそこにあった」という意味で記録されたものではない.それらは「かつてそこになかった」にも関わらず,ディスプレイに映し出されている.なぜなら,それは「かつてそこにあった」ものやことと密接に関係しているから.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13556908140

ライフログ
人生をデジタル化して記録していくライフログ.ライフログは「かつてそこにあった」を記録していくが,それは写真のようにではない.私たちが見ること・感じることができない位置情報や時間情報をコンピュータを介して記録していくことである.それらの情報から「自分」を再構成することが可能になる.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13557864240

モノとしての死と死なない情報
「機能を失うことでモノとしての死と,再現可能であることで「死なない」情報との対比であり,モノとデータ,記録映像とライブ映像,映像と PC 環境の境界線を越える挑戦である」エキソニモ.ここにはライフログに関わる対比のすべてが入っている.《断末魔ウス》はひとつのライフログなのだ.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13558165157

生態履歴
「高速に,大量に変換される代わりにこれらのデジタル形式で生成される言葉には,そのcurriculum vitae(生態履歴)が欠落している」ドミニク・チェン.ライフログはすべてを記録しようとするが,生態履歴が欠落する.生態履歴=「かつてそこにあった」をどのように情報に付与するか.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13558801006

あるけどなくて,ないけどある
マウスに付随するカーソルが示す位置情報,タイピングに付随する時間情報はコンピュータにとっては確実にあるが,ヒトにとってはないかあるのかわからない.その情報に生態履歴を重ね合わせることで,ヒトにとってはその「ある|なし」が不確かな情報を「ある」ものにする.→モノとデータ,記録映像とライブ映像,映像と PC 環境の境界線を越える挑戦,それがライフログなのだ.
http://twitter.com/mmmmm_mmmmm/status/13559329269

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